ちゃおチャオブログ

日々の連続

5.3(火・快晴)悪魔のプーチン地獄にうせよ!

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GW6連休の初日、天下泰平、天気は快晴。各地での渋滞情報が報じられる。コロナが和らぎ、人々は待ちに待った連休を楽しもうと、我も我もと車を走らせる。どこにも行かない人は野川で春の陽光。芝生の上にテントを張って、春の陽光を楽しんでいる。野川では子供たちが川遊びをしている。気の早い和歌山白浜の白良浜海岸では今日から海開き。沢山の人が海辺で遊んでいた。日本は平和だ。天下泰平、多分世界で一番住みやすい国だろう。

 

国連事務総長の斡旋で、漸く実現した人道回路、今日第一陣100人がマウリポリ製鉄所から救出されたが、その後がない。この地下には約1000人の市民が尚取り残されているという。悪魔のプーチンは嘘をつき通す。事務総長とは形ばかりの約束を果たし、後は知らん顔だ。先々週、ショイグ国防相との会見で、この製鉄所地下の状態を「カタコンベ」と表現していた。以前トルコを旅行した時、イスラム教徒から迫害されたキリスト教徒がカッパドキアの近くのカイマクルという場所にカタコンベ、地下都市を造ったが、その時の旅行記がある。


トルコ語の「カイマクル」の意味が日本語の「買いまくる」に応答するのかどうかは知らないが、この地下都市の前の陸上部には、かなり大きなショッピングエリアになっていて、土産物店が並んでいる。特にガラスのビー玉を平たくして、「渦巻き模様の目玉」のデザイン魔除け、これをトルコ語では「ナザール・ボンジュール」と呼んでいるが、あちこちの土産物屋にぶら下がっている。一番安い土産物で、10個、20個、ダース買いをしている旅行者もいる。これぞ全く「カイマクル」。

我々ツァー客は、そうした買い物は後に回し、先ずは地下帝国、いや地面深くに掘られた地下都市へ向かった。カタコンベと違うのは、ここが正しく大都市で、資料等によれば、地下55m、8層になっていて、推定最大1万5千人からの人々がここで生活していたとのことである。1万5千人! 凄い人口で、少しオーバーなようだが、それが事実なら、将に猿の惑星の地下帝国のようなものだ。尤も、ここカイマクル以外にも同じような地下壕のような地下都市が造られていて、それぞれ数キロにも及ぶような地下トンネルで結ばれていた、というから、あながち、虚報ではないかも知れない。

マホメットムハンマド)によるイスラム教がアラビア半島で誕生したのは7世紀初頭だが、イスラムアラビア半島を始め、瞬く間に周辺に広がり、この地域に住んでたキリスト教徒を北へ押しやった。イスラムに追われたキリスト教徒は、トルコの地まで逃げて来て、この岩石の柔らかい土地を利用して地下壕を掘り、そこで生活するようになった。

地表は何もない荒野。地下は凄い町。小さな教会もあれば、ミルもあり、パンなども焼かれていた。煙と汚物、水には苦労したようだが、煙道を作って、はるか先の山の彼方から煙を出したり、水も地下水路を引いていた。そうして身を潜めていたが、この地下都市も一度ならず発見され、攻撃されたとのこと。しかしモスレムは穴の中までは入って来れず、穴の入り口から熱湯を流しこんだり、オイルを垂らして火を放ったりしたようだ。まるで、悪魔がアリの巣に水を流し込むような悪行である。

トンネルの入口近くには、何トンもあるような巨大な丸石が置かれていた。何の為かと言うと、イスラムが攻めてきた時、その丸石を転がし、トンネルを塞ぐためだったとのこと。穴に石の栓をすることだ。どこまでモスレムの猛攻に耐えられたのか知らないが、この地下都市が何世紀にも渡って住居として利用されてきた点は、驚嘆に値する。」

 

ウクライナ兵及び市民がロシア侵略から2か月以上、この地下壕で、トルコのカタコンベのような大変な日々を耐えてきたのだ。悪魔のプーチンはその皆殺しを平然と口にする。地獄からの代理人は、一刻も早く地獄に落ちなければならないが、毎日ウクライナの惨状を目にしていると、神仏はいないのか・・と思いたくなる。遠藤周作の沈黙なのか・・。