出航時刻になり、博多港フェリー桟橋に向かう。
この桟橋は10年ほど前、志賀島に渡った時と変わらない。
これは玄海島行の連絡フェリーだ。
壱岐へはこちらの高速船、ビーナス号で向かう。
壱峻島行フェリー出航の時刻が近づき、隈添乗員の案内でフェリー乗り場に向かう。桟橋は以前ここから志賀島へ渡った時と同じ場所から出る。その時のフェリーは内海運送の小型船舶で、遊覧船のような感じの船だったが、今日のは外洋を運行するので、かなり大型で、頑丈な造りだ。高速のホーバークラフト、ビーナス号というモダンな船舶だ。ホーバーだから、波の上を滑るように走行し、多少の波なら揺れずに済むという。座席は指定でなく、どこでも好きな場所に座っても良いとの事。このコロナ禍で観光客も限られていて、我々ツアー客以外は島の人か島に用事のある人で、合計しても100人は乗船していないだろう。船室は3-4割の入りで、空席が目立つ。
昔風の銅鑼ではなく、今様の汽笛一笛ボーっと鳴らしフェリーはゆっくり桟橋を離れ、博多湾出口に向かう。ここは有史以前から那の津と呼ばれ、大陸、半島との出入り口になっていた。志賀島の金印ではないが、倭の奴の国の那だ。那覇の那と同じだが、自分にはその関連は分からない。博多湾、昔風に言えば那の津は右側に志賀島、左側に能古島(のこのしま)、この二つの島が湾を守るように、閉じ込めるように門扉となっていて、外敵の侵入を防ぎ、且つ台風等の波浪も防いでいるのだろう。昔の人はここが良港であることは、経験的に分かっていて、この港の中心に近い場所、やや山側の守り易い場所に西の都、大宰府を置いていた。
台風の影響で、重たい雲が垂れ込め、視界は良くないが、雨にはなっておらず、湾の周辺の景色は見える。先刻乗船前に登ったポートタワーも大きく見える。周囲に大きな建物が無く、100mそこそこのタワーでも大きく見える。こうして見ると、矢張り、どことなく札幌タワー、中京タワー、通天閣等々と似通って見えるのは、同じ建築家、内藤博士の設計になるものと知ったからなのか・・。それにしても博士はマレーシアのイポーに行ったことはあったのか・・。イポーに行かなくてもキャメロンハイランドは行ったかも知らないし、その麓にある町がイポーとは、何かの機会に知ったかも知れない・・・。湾の外に向かってフェリーは進み、やや波が高くなってきた感もあったが、揺れは殆ど感じられなかった。
ビーナス丸。ホーバークラフトで、走行中浮上するそうだ。
離岸すると、博多港、ポートタワーが大きく見えてきた。
ああ、左手正面に能古島が見えてきた。