ちゃおチャオブログ

日々の連続

壱岐・対馬2島巡り(9)壱岐の猿岩。

黒崎砲台の前には、猿岩がある。

 

そこは公園風に整備され、広い駐車場がある。



猿に似ている、と言われてみれば、その様に見えた。

 

長い風月により出来上がった自然の造形ではある。

 

 

壱岐には何カ所かの観光スポットがあり、黒崎砲台跡と猿岩は隣りあわせになっている。従って駐車場は共通になっていて、広々と敷地を取っている。が、夕方の時間とコロナ禍で、この広い駐車場も止っているのは自分達のツアーバスと2‐3台の乗用車。ナンバーまでは見ていないが、多分レンタカーだろう。

 

猿岩は名前の通り、大きな垂直の岩が、猿がそこに座っているような姿勢で横向きになっている。自然の造形で、何時からここにこんな形で座っているのかは分からない。少なくとも1000年2000年の歳月ではないだろう。大きな岩礁が風雪、波浪によってこんな形に変形するのには、少なくとも万単位の年月が経っているものと思う。人がこの島に何千年前から移り住んで来たのかは知らないが、最初の人間が上陸してきた時点で、もう既に今のような形になっていただろう。古代人と現代人、時を隔てて同じ光景を見ている。ただ古代にはあちこちに今以上に自然の情景が豊富で、古代人にはありふれた情景の一つと見えていたかも知れない。

 

80年前の黒崎砲台の守備兵も古代人と同じ感覚だっただろう。そもそも現代人のように土日の休みがあったのかどうか知らないが、仮に休日があったとしても、戦時下で物見の気分にはなれなかったに違いない。休みでも何やかや軍務に関係する細々とした作業に追われていたかも知れない。何かの拍子に、ひょいと海の方角にこの岩礁を認め、単に珍しい岩だなあ、と思ったに過ぎないだろう。殊更軍事郵便で親とか許嫁に伝えるような内容ではなかったかと思う。

 

商品のPR或いはネーミングと同じで、観光客相手にこの岩礁を猿岩と名付け、壱岐島観光の目玉の一つとして売り出すようになったのは、いつ頃かは知らないが、島が離島観光の一つとして、脚光を浴びるようになってからだと思う。20数名のツアー客も、この岩をバックに写真は撮ってはいるが、それ程強い驚きを持って見ている人はいなかった。自然が造った妙ではあるが、ただそれだけの事として、眺めているようだった。

 

壱岐の地図。ほぼ円形で、この場所は左上の方角だ。

 

猿岩を見て、黒崎砲台を後にする。この小山の中に砲台はあった。

 

これから今晩の宿、国民宿舎に向かう。玄海の海は綺麗だ。

 

途中には耕作地のような場所もある。