ちゃおチャオブログ

日々の連続

9.21(水・晴れ)安倍国葬、野党重鎮のトンチンカン対応。



 

来週火曜日に控える安倍元総理の国葬問題。今日は又70過ぎの男性が総理官邸前で国葬反対の遺書を残して焼身自殺を図った。全国各地では違憲訴訟も巻き起こっている。最初のボタンの掛け違いは岸田総理のトンチンカン判断にあったのだが、同様のトンチンカン対応が野党、殊、立憲民主の重鎮に多く出てきている。野田元総理や前原、玄葉、等が訳の分からない理由で国葬参加を表明しているが、野田などの「自分は元総理だったから」だとか、前原や玄葉の「同期の議員だから」との出席は全く理由になっていない。

問題は元総理の死を悼むかどうかではなく、その葬儀の在り方、「国葬」が問題なのであって、こうした形での葬儀は党が反対し、国民の多数も反対している中にあって、個人の友情とか、同期の桜などの個人的な心情、理由で参加を決めたのは、トンチンカン極まりない。故人を悼む気持ちがあるなら、こんな問題のある国葬儀に駆け付けるべきではなく、日を改めて、墓地にお参りするとか、別の方法でもってその死を悼むこともでき、自ら参席することによって、国葬を是認すべきではない。

 

この国葬に異を唱える議員も自民党内からも出てきて、村上誠一郎などは、元総理の業績は国葬に値しない、とまで言い切っている。それは国民の多くがカルト統一教会問題の首謀者としての元総理国葬反対とは全く違った政治的な面からの評価であり、いみじくも野党議員であれば、村上のごとく政治的評価を行った上で、国民の代表との立場で参加不参加を判断すべきだ。

国葬問題を脇に置けば、国民の多くは元総理の非業の死、突然の横死に驚き、悼む気持ちを持ち、安らかな昇天を願っていると思うが、浅墓な岸田が政争の具にし、国民の半数以上が反対する国葬を押し切ろうとしている。国民は国葬に反対しているのであって、安倍元総理の死を悼んでいない訳ではない。だから今も尚奈良の犯行現場には献花が絶えない。岸田も野党重鎮もトンチンカンな判断で国民の間に論争を生じさせ、本来厳かに送るべき御霊を霊界に漂わせている。メメントモリ、大いに恥ずべきことだ。今更内閣葬に変更はできないだろうが、最初から内閣葬だったら国民からの反対も出ないし、野党議員も思い通りに焼香も出来た筈だ。知恵の無い総理と言わざるを得ない。官邸前の焼身自殺者は今の処命を取り留めているようだが、軽はずみな決定をした総理の責任は重大だ。