猫の走り去って行った先に、桜の木があった。
祇園の枝垂れ。漸く探し当てた。
しかし、緑葉に覆われた、花の無い桜は、それ程味気はなかった。
正面に池があり、ベンチも幾つかある。
猫のお陰かどうか、円山公園内を時にすばしこく、時にのうのうと動き回る猫の先に大きな大木がある。記憶では場所的にはあの辺だ。八坂神社の境内を出た直ぐの辺りの場所。近づいて眺めると、矢張り桜の大木だ。今は緑の葉に覆われていて、「これが桜か?」という感じの大きな木ではあるが、4月になれば満開の花を咲かせるに違いない。記憶の中の枝垂桜と眼前の大木との落差は大きかったが、世の中とはそういう物だろう。現実と理想、或いは空想。矢張り桜は花を咲かせてこその桜木だ。
公園は広々として正面には回遊式木池もある。あちこちにベンチもあって一休みする場所には困らない。どこかで一休みしよう。取り敢えずは希望は叶えられたのだ。少しゆっくりしたい。池の端の石のベンチに一人白人女性が腰かけて、何かの本を読んでいる。観光客ではなさそうだ。京都は国際都市。こうした上流外国人も多く住んでいるのだろう。この公園は生活の一部になっている。全く、アメリカンスクールが近くにある野川公園と一緒の情景だ。
池の向こうは緩やかな登りになっていて、丘の上まで通じている。自分はまだ行ったことはないが、あの丘の上には見晴らしの良い将軍塚展望台がある。元気な頃なら短時間で往復でいるのだが、今はもうとても無理だ。池の左奥には知恩院があり、更にその奥の丘の上には青蓮院門跡寺院もあるが、今回は遠くから眺めるだけにして、今日の巡礼は終了しよう。池のクロサギに別れを告げて、再び八坂神社にUターンした。
ああ、白人女性も休んでいる。観光客ではなく、地元の人らしい。
清水寺でもそうだったが、まだ9月の初めだが、早くも紅葉が始まっている。
ああ、クロサギがいる。珍しい。
クロサギに別れを告げて、今日の処はホテルに戻ることにした。