ちゃおチャオブログ

日々の連続

11.30(水・曇り)落第大臣はサンドバック。宮台真司。



 

国務大臣は国家の重要な機関であり、その任命権は総理大臣にある。任命を受けたものは、その負託に負えるか否かを自身で判断し、確信を得たものが受任する。岸田内閣では既に3人の大臣がクビになり、受任した大臣もさることながら、彼等を任命した岸田総理にも重大な任命責任が問われている。一人二人ならいざ知らず、3人4人もとなったら、一体総理の目はどこに付いていたのか!と。ヒラメのように上ばかり見ていた訳ではなかろうが・・。

 

先週来国会、衆院の場で秋葉復興大臣が野党からの集中攻撃を受け、メタメタの状態になっている。まだ63歳。自分よりも10歳以上も下だが、テレビで見る限り、自分よりも10歳も年上の感じだ。疲労感が体中に漲っている。最後の気力を振り絞って答弁しているようだ。

今週は再び参院での集中砲火。最早精も根も尽きた感じだが、大臣職に留まっている限りは答弁席に立たざるを得ない。心の中ではもう一刻も早くこの場から逃げ去りたいと思っていても、国務大臣である以上、それは許されない。

本人は1日も早くこの地獄のお白州から解放されたく、再三に亙って辞職願を出してはいるが、総理がそれを許さない。大学運動部で、一旦入部した運動部を自分の意志では抜け出せない、タコ部屋というか、蟻地獄の状態で、総理はがんじがらめに抑え込んでいる。野党議員からのサンドバックになっていても、議場で倒れるまで耐えなければならない。

 

国務大臣拝命ということはそう言うことで、大きな栄誉と絶大な権限が得られると同時に、それに伴う重責、義務を伴うものであり、病気などで職務に耐えられない状況にならない限りは、自由意思で辞めるということはできないのだ。だから、個々の代議士は拝命するに際し、自身の潔白、将来就任後に職務とは掛け離れた個人的な不始末で、国会審議が空転することがないことを自覚し、受けなければならない。それに自信のない代議士は、最初から拝命すべきでない。総理に目があるかどうか以前の代議士自身の問題だ。ただ残念ながら、現在の国会は、大臣は当選回数の順番性になっていて、誰でもその年期になれば、ほぼ順番に大臣のポストが転がり、自身もそれを期待している。政治家の矜持とか、大臣に就くことの終局の目的などは二の次だ。

 

今の国会はそうした落第議員がゴロゴロしていて、改造内閣からまだ2か月もならない内から、こうした落第大臣がゾロゾロ出てきている。悲しい国会、悲しい内閣だ。先週も野党議員から問われていたが、秋葉は松下政経塾出身という。松下政経塾からは与野党を問わず多数の国会議員を輩出している。彼も政治家を目指した当初は、天下、国家、国民の為に身を尽くすべく高い理想を掲げて政経塾に入ったと思うが、県議を3期、その後国会議員を7期やっている内に、目も頭も曇り、我が事しか見えない男に成り下がってしまった。

大学運動部のタコ部屋のように、総理がこの落第生をクビにしないのは、国会期日を考えているだけのことで、ここで又大臣が交代すると、法案成立に支障を来たし、総理肝いりの新法、反カルト法案の成立も危ぶまれる。そこで、いつ倒れてもおかしくない男をがんじがらめにしてしているのだが、解決は簡単だ。来月10日の会期末をⅠ週間延ばせば済むことであり、会期上延長できないのであれば、秋葉を病気にさせて、緊急入院させればよい。政治家が司直に追われた時によくやる手段だ。本人が入院中に副大臣に答弁させれば済むことだ。それが副大臣政務官制度ではなかったのか。ここでは有効に利用したほうが良い。国会終了後、再び内閣改造を考えているようだが、その時追々クビにすればよい。ただ再三言うように、再々改造に際しては、今回のような落第議員を任命したら、もうアウトですよ。

 

宮台真司。30年前のオーム事件の頃、毎日テレビに出て、オームのスピーカー、上祐と丁々発止の口角を飛ばしていたが、あれから30年、オームが消えて、宮台もいつの間にかマスコミから消えて行ってしまったが、昨日、久しぶりに名前と顔を見た。63歳、今は都立大の教授になっている。テレビ界から消えても、収まるべき所には収まっていたのだ。犯人は誰かは不明だが、殺す積りで狙ったようだ。30年前の禍根が今に尾を引いているとは思えないが・・。