ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音霊場巡り(23)八坂神社と蘇民将来。

円山公園を去る際、クロサギ以外にも白鳩も見送ってくれた。

 

再び八坂神社の境内を通って、祇園通りに向かう。

 

八坂神社の大きな本殿。

 

参詣客はこの時間でも絶えない。

 

若い頃の元気な頃だったら西国観音霊場巡りのガイドブックに出ているコースガイドの半分程の時間で回れると思うのだが、ここ最近、特にコロナ禍になって以降、急に体力が落ちてきて、今はそのコースガイドの倍以上の時間が掛かるようになってきた。本来一人での巡礼は厳しいのだが、阪急には四国の巡礼ツアーはあるものの、西国に関しては催行していない。そこで何回かに分け、行ける所までは行って見ようと、先ずは手始めに京都を選び、やって来たのだが、足の疲労は考えていた以上に激しい。コースガイドに出ている残り2つの名跡はオミットして、ホテルに戻ることにした。

 

円山公園クロサギに別れを告げて、再び八坂神社に戻り、本殿にお参りし、祇園口の山門に向かう。この時間、コロナ禍とは言え有名寺社、相変わらずの参詣者を集めていて、ひと頃のどこの観光地も無人の状態からは、やや賑わいも戻って来た。コロナで国が閉ざされて約2年、徐々にではあるが行動制限も緩み、待ちか構えていた人々が動き出したのだ。

 

八坂神社祇園門は良くテレビの映像などに出てきて、見慣れた二層の楼門で、重文の指定を受けている。この神社には本殿の国宝を初めとして、数多くが重文に指定され、先刻入場してきた南楼門、こちらが本来の表参道になっているのだが、そこも重文。既存建造物の中では一番古い祇園門を入ったの直ぐの正面に摂社の疫神社があり、自分はこの神社こそが祇園祭のそもそもの発祥の起源と考える。

 

この神社には「蘇民将来命」が祀られ、その護符は二つの三角をずらして重ね合わせた六芒星、それはユダヤ教に於いては、ダビデの星と呼ばれているものだ。蘇民将来とその弟、巨旦将旦との説話は、同様のものがユダヤ教にもあり、そこでは「過越祭」として今に続いているが、ここ八坂では「夏越祭」と呼ばれ、茅の輪潜りガ行われ、蘇民将来の護符が配られる。先刻、表参道の楼門前の民家の庇に掛かっていた護符がそれだ。

 

旅に疲れ果てた素戔嗚尊がお金持ちの巨旦将来に助けを求めたが断られ、貧乏な兄の蘇民将来の家に行った処、厚遇されて元気を取り戻した。後年、それに感謝した素戔嗚尊は善良な人々に対し蘇民将来の護符を配って、疫病、災厄から逃れられるようにした。その感謝の祭りがユダヤに於いては「過越祭」、ここ八坂では「祇園祭」として今に続いている。スサノオがどこからやってきて、どこへ立ち去って行ったのか、未だに謎であるが、祇園祭の山鉾に覆われているゴブラン織りのタペストリーもそうだ。そこには西洋古代の文物が織り込まれているが、何故この山鉾に西洋のそうしたものが装飾されているかは、未だに謎である。

 

摂社の疫神社。蘇民将来尊が祀られている。疫病退治の神様だ。

 

立派な西大門の楼門。この門前は祇園だ。

 

楼門から祇園の通りを眺める。右手方向に先斗町がある。

 

表参道の民家の庇に掛かっていた蘇民将来の護符。