ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音霊場巡り(27)寺町通への道すがら。三条通りの建造物。

巡礼ガイドに従って、三条通りを歩いて本能寺に向かう。この辺り、明治大正時代の古い建物が多い。

 

最初に目にしたのは旧中央郵便局。今も現役で中京郵便局として使用されている。

 

辰野金吾博士設計による、重厚な建物だ。

 

その隣には京都文化博物館がある。これは旧日銀京都支店の建物だ。

 

 

池坊本家ビルのシースルーのエレベーターから正六角形の屋根をした六角堂を見下ろし、ビルを出て本堂の向かい側にある納経所で、今回巡礼の3番目の御朱印を頂く。この納経所の建物は古く、以前と同じように古めかしい造りで同じ場所にあった。少しばかり記憶が戻って、少しばかり安心し、六角堂を辞去した。次に向かうのは同じ中京区にある第十九番札所の行願寺。コースガイドによれば、途中に本能寺があって、2キロ弱だ。ゆっくり歩いて行けば行けない距離ではない。

 

京都の中京区のこの辺りは、明治になって一番最初に近代化が進んだ地区だ。先刻、阪急京都線が通っている四条大宮から烏丸通を歩いて六角堂までやってきたが、この通りの先の方には四条河原町があり、その辺りが京都一番の繁華街だ。六角堂から本能寺まではこの烏丸通を真っすぐ進み、左に曲がって錦市場のアーケードを通り抜ければ行けるのだが、ガイドブックにはこの大通りから1本内側に入った通りを三条通りを行くと、途中に明治の建造物が幾つかあると出ている。京都は碁盤上の街だから、道路は真っすぐで、条と坊は直角に交わっていて、どの通りを歩いて行っても目的地には迷うことなく行きつくことができるだろう。

 

最初に目に付いたのががっしりしたレンガ造りの建物で、如何にも明治以来の伝統建造物だ。近くによって見ると旧中央郵便局と出ている。現代でもそうだが、どこの町でも中央郵便局は町の中心近くにあり、大きくて立派だ。明治の初め、前島密は通信事業の重要性を鑑み、早い段階で日本の郵便制度を整備した。京都でも御所に近い町の中心部に、辰野金吾設計のこのような堂々とした建物を建設したのだ。今の中央郵便局は今朝孫への絵葉書を投函した京都駅前にあるが、戦前のこの建物は現在も中京郵便局として現役だ。

 

この旧中央郵便局の隣には、又立派なレンガの建物がある。これは京都文化博物館で、以前の日本銀行京都支店の建物だ。日銀支店は日本の主要都市30数市に置かれているが、そのどこも市の一等地にあって、その地域の金融経済をリードしている。金融と郵政、街の中心部に置くことによって、日本の近代化を押しすめた明治政府の意気込みが感じられた。当時の日本人は正に坂を駆け上る気概を持っていた。この建物も又辰野金吾博士の設計だ。即ち、東京駅、ソウル駅を設計した博士だ。

 

斯くいう自分は足が衰えて、坂どころか僅か10段ほどもない階段も上れない。道路から建物の入り口を眺め、写真を撮って、館内に入るのは諦めて、そのまま町家の続く通りを寺町通に向かった。本能寺は以前一度来たことがあったが、確かこの通りに面していた。さあ、もう少しだ。頑張って先に進もう。

 

今の自分には僅か6-7段の階段すらも上るのは大変で、外から眺めるだけにした。

 

この辺りは歴史建造物地区で、観光客もそれなりに多い。明治大正の香りがする。

 

この通りを真っすぐ行った先が寺町通だが、見るとかなり先は長い。

 

まあゆっくり古い街並みを見ながら、ポチポチ歩いて行こう。