ちゃおチャオブログ

日々の連続

宮古の4日間(13)うえのドイツ文化村訪問。その前に第8師団長乗機の大型ヘリ墜落について。

公設市場での昼食後、次にやってきたのは「うえのドイツ文化村」。ドイツ風のゲートになっている。

 

広々としたテーマパークだが、園内には殆ど客の姿が見えない。

 

園の正面、丘の上にお城のようなものが建っている。

 

  • 取り敢えずはそこまで行って見ることにした。

話は前後するが、この宮古島旅行は今年の1月中旬のことである。この旅行に際し、宮古島に配備されている自衛隊レーダーサイトの前を通り、その時の写真を前回のブログに掲載した。このレーダーサイトを舞台に5日前、全く不可解な大事故、大事件が発生した。この部隊を側面支援する熊本に司令部を置く陸自第8師団の師団長が、現地視察の為この基地から幕僚を引き連れ多目的大型ヘリのUH60JAに乗機したが、離陸10数分後に機影はレーダーから突然消えてしまった。それは下地空港管制官と通信した2分後の事で、伊良部島沖合僅か2キロ程の海上で、機体の異常乃至操縦不能を知らせる緊急信号も発せられなかった。熟練したパイロット二人が操縦していたにも拘わらずだ。

3か月前、このレーダーサイトの前を通った時には、よもやこの様な大事件が発生するとは、毫も想像しなかった。有り得るとすれば遠い将来、日中の軍事衝突でこの基地が中国軍により攻撃されることであり、その時は悲惨な状況になるかも知れない、という漠然とした想像だった。それが戦争ではなくして、通常の軍事訓練の中で、全く想像もできない惨事が発生した。

マスコミ、軍関係者の誰も言っていないが、自分が考えるに、これは所謂全電源喪失状態に突然陥ったものだ。突然に電気系統が落ちて、プロペラも回転しなくなるし、緊急信号も発せられなかった。浮力を失った大型ヘリは海面に垂直落下し、乗員を乗せたままそのまま海底に水没した。従って、通信が途絶えた周囲数百mの海底を集中的に捜索すれば、そこに大型ヘリが沈んでいる筈だ。海保、自衛隊にはそうした能力があって然るべきだが、5日経った今日に至るも発見に至っていない。自衛隊に対する国民の信頼を棄損している。全電源喪失により操縦不能に陥り、緊急通信も発信できずに、垂直落下。それしか考えられない。素人の自分にも分かることだ。

では何故電気が一瞬に遮断されたのか。それは人為的なものによるものなのか、何か外部の工作によるものなのか、機体に潜在していた致命的な欠陥なのか、水没機体を引き上げ、フライトレコーダー、ボイスレコーダー等を回収し、分析しなければ分からないことだろう。状況は異なるが、先般のH3ロケット打ち上げ失敗やイプシロン失敗にあるように、最重要部分の不具合、或いは、その部分への外部工作の有無について、JAXA自衛隊も厳密に調査しなければならない。精密部品の一部に何かが密かに組み込まれていれば、ロケットにしても、大型ヘリにしても簡単に機能不全に追い込むことは可能だ。

さて、話をうえのドイツ文化村に戻そう。公設市場2階での昼食後、次に向かったのはうえのドイツ村だ。「うえの」とあるが、宮古島市が、壱岐対馬と同じように、1島1市となったのは、今から20年ほど前の平成の大合併の時で、それまで別の市町村だった周辺の離島、伊良部島池間島下地島など、全て一つの宮古島市になった。このドイツ村のある地区も以前は「上野村」だったのが、今では宮古島市に組み込まれて、テーマパークの名前にだけ、昔の村名が残されている。

では何故こんな場所にドイツ文化村が? それは園に入って直ぐの場所に掲示されている大きな解説板によって、理解できた。そこには2000年に沖縄で開催されたG8首脳会議に参加したドイツ首相のシュレーダーがその直前にオープンしたこのテーマパークにやってきて、今から150年程前の明治の初め頃、この付近を航行していたドイツ商船が嵐で遭難し、近くの漁民がサバニ(伝馬船)で乗組員を救助し、手厚く持て成し、ドイツに送り返した事の感謝の言葉を述べていた。ドイツの歴史、文化をテーマにした広大なパークは、バブルが弾けた直後の開園で、どの程度の賑わいがあったのか自分には分からないが、今はコロナ禍で入園客もなく、我々3人と、他に数人、ほんの数える程の人の姿しか見えなかった。

 

お城の正面にドイツ首相、シュレーダー訪問の記念パネルが掲げられていた。

 

  • 城へは少し坂もの登らなければならない。

  • シュレーダーは2000年のG8沖縄サミットの後、この地を訪問したようだ。

     

    館内を歩くことも考え、自分は入館しないで戻ることにした。