ちゃおチャオブログ

日々の連続

5.18(金・晴れ)G7,明日から宇品サミット。

 

 

明日から広島宇品でG7サミットが開かれる。テレビで見るとこの島に高層ホテルができていて、そこに首脳一同を缶詰めにし、二日間の会合が行われる。どこの会社がいつ頃こんな大きなホテルを作ったのかは知らないが、広島の郊外に丁度都合の良い大型ホテルがあったのものだ。今回のサミットを見越して、建てた訳ではないと思うが、世界の首脳に泊めて頂くにはお似合いだ。

宇品に最後に行ったのは、もう20年以上も前か・・。その時、この宇品港からフェリーで江田島へ渡ったのはこの時か、それ以前か・・。瀬戸内の島へ行くには、この宇品から各方面にフェリーが出ていて、瀬戸内の中心となるような港だった。今は大学も空港も遠く山の方、東広島市、旧西条に移って行ったが、この港の近くには以前は広島大学や西空港があって、広島駅前から市電に乗って港までやってくると、その途中に大学キャンパスなどもあった。

軍都広島。横須賀とか佐世保はそんな風には呼ばれていないが、ここ広島は何故か昔からそう呼ばれていた。と言ってもそれは戦前の話で、今は人類史上初めて原爆が落とされた街として、世界中に名前が知れ渡っていて、原爆ドームを象徴とする平和都市のイメージが強く出ている。

軍都広島と呼ばれるようになった所以は自分は知らないが、想像で言えば、日露戦争時、大本営が東京から一時的に広島に移され、広島城内に設置された大本営に時の明治天皇も激励に臨場された。そうした歴史的な経緯から、この町が軍都と呼ばれるようになったのではなかろうか。実際日清日露、その後の大陸戦線で、多くの将兵がこの宇品から対馬海峡を渡り、半島大陸へ出征していった。

戦艦三笠を旗艦とする帝国連合艦隊は、最後の補給をここ宇品で済ませ、ロシア艦隊を迎え撃つため対馬海峡に向かった。まだ開国して30数年、小国日本が大国ロマノフを相手に戦いを挑み、見事にその艦隊を撃破し、日本海の藻屑にした。後世に記念すべき大海戦は実にこの宇品から始まったのだ。

G7サミットが終わってから、首脳陣は原爆ドームに献花し、資料館を訪問し、更には安芸の宮島厳島に参拝する。前回は安倍総理の案内で伊勢神宮に参拝し、今回は厳島。日本の歴史的、文化的、宗教的な違いをキリスト教徒である各国首脳に強く印象付けるだろう。

それと共に強調すべきは、この宇品の歴的な意味合いで、平和ドームに参拝すると同程度に、100二十数年前の日本が、この宇品から出陣した世界に冠たる提督東郷平八郎率いる連合艦隊により、ロシア、バルチック艦隊を完膚なきまでに打ちのめしたことを各首脳陣に教えてやるべきだ。反ロシア、反プーチンはG7首脳陣に共通する嫌悪感だ。岸田総理も喝采を受けるだろう。