ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音まほろば奈良の巡礼記(27)飛鳥と明日香、石舞台へ。

飛鳥駅からバスに乗って石舞台に向かう。

 

飛鳥地方の豊かな田園地帯。

 

明日香村役場。村にしては立派な庁舎だ。

 

給食センターも立派だ。

 

 

明日香村営の循環バスに乗って、石舞台に向かう。以前ここへ来たのはもう何年前になるか・・。当時はレンタカーを借りてやってきた。ここへ来る前に宇陀の阿騎野のかぎろひの丘公園に行き、人麻呂の歌「東の野にかぎろひの立つ見えて、返り見すれば月傾ぶけむ」の情景を見たくやってきたのだったが、なだらかな丘陵からは太陽は既に中空だったが、天空には色白の月が浮かんでいた。1500年前の情景は、その阿騎野の丘には当時も残されていた。

 

それから女人高野の室生寺に寄り、小ぶりの国宝三重塔にお参りし、更に多武峰談山神社に向かい、中大兄皇子中臣鎌足が蹴鞠した十三重塔の前の小ぶりな広庭を見て、山を越えて石舞台にやってきた。当時は運転免許もあって、レンタカーも借りられ、行動はかなり広範囲に、短時間で済ますこともできた。今は1時間に1本程度やってくるバスに揺られて、車窓の景色を眺めている。

 

ここは豊かな田園だ。この地に稲作文化が根付いて1500年、この情景は当時とさして変わってはいないだろう。人口の増減もそれ程ないかも知れない。飛鳥の地に何時から明日香村ができたのかは知らないが、如何にも万葉的な好ましい当て字だ。こんな名前の女性がいたら、きっと美人に思えるだろう。飛鳥は飛ぶ鳥、男性とすれば、明日香は女性だ。村が出来たのは明治になってからと思うが、センスの良い人々のネーミングだ。

 

この村の財政が豊かか苦しいかは自分には分からないが、近くの桜井とか橿原と合併せずに孤軍奮闘、村で自立しているのは、それなりに財政は成り立っているのだろう。途中のバス停に村役場の大きなコンクリの庁舎があった。人口の割には不釣り合いに大きな庁舎で、その近くにある共同給食センターなども立派だ。年にどれ程の観光客が訪れるのか知らないが、村内には多くの史跡などもあって、国からの補助、助成金もそれなりにあるに違いない。バスに乗って20数年前の当時の旅行、或いはこの田園風景を眺めている内に、バスは石舞台の停留所に到着した。

 

このこんもりした森は甘樫丘のようだ。

 

バスに乗って15分程、石舞台の丘にやってきた。

 

周辺の案内図。古代の歴史が詰まっている。

 

石舞台周辺の案内図。