ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音まほろば奈良の巡礼記(33)岡寺を下山する。

本堂右手奥には石造の十三重塔も見える。

 

  • その十三重塔の奥には龍の泉や、祖師堂などもあるが、皆端折って下山した。

帰りは石段ではなく、緩やかな車道を歩いて下山した。

 

  • 坂の途中から飛鳥の集落も再び見えて来た。

目的の西国観音霊場第七番岡寺の御朱印を頂いたので、観光はもうどうでもよい。前方に見える三重塔も数十mの僅かな距離だが、もうそこまで歩いて行くのも面倒だ。そのまま今上って来た参詣道を下り降りることにした。それでも矢張り気持ちの上では観光気分は抜けきれない。

本堂右手奥に石造りの十三重塔が見える。これは以前談山神社で見た十三重塔と同じような大きさ高さで、どちらが先か後かは分からないが、同時代に造られたもんどあろう。十三重塔は日本では珍しく、余り見た記憶はないが、20数年前、談山神社にお参りした時、初めて見て、強く印象に残っていた。

本堂からの下山は長い石段ではなく、少し遠回りにはなるが、緩やかな車道を歩いて下山する。再び眼下に飛鳥の集落が見え、実際、身を隠したり、見下ろしたりするのには丁度よい距離感、高さの寺になっている。大海人皇子がこの寺に一時的に身を隠したとの伝承は、有りうる話だろう。

山門の所へ来て、改めて仁王像を見、写真も撮る。堅牢で古びた山門だ。本堂の義淵僧正座像同様にこの山門も重文に指定されている。明日香村には数多ある重文埋蔵文化財の中で、建造物としての重文はこの仁王門だけだ。江戸時代初期、慶長年間の建造だ。しかし中の阿吽像に関しては記録がない。その仁王像に両手を合わせ、寺を後にした。

 

寺の直下にも人家がある。

 

この車道も綺麗な花に彩られている。

 

漸く山門まで降りて来た。

 

山門は仁王門になっていて、江戸時代初期の建造。重文になっている。仁王像に両手を合わせ、寺を後にした。