市内循環バスで唐招提寺へやって来た。
見慣れた山門だ。
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山門を入った正面に本堂が見える。
この距離感、姿は以前と全く変わらない。
今回の西国観音霊場参りは今朝の興福寺南円堂のお参りで予定は終了した。今日夕方までの残りの時間、どこでどう過ごすか・・。奈良の古寺は既に殆ど見ているし、どうしても見ておきたい、という寺もない。そんな中で一つだけ、最近読んだ本で、井上靖の娘さんが父親の生前を書いた思い出の中で、父が「瓊花」(けいか)の花をこよなく愛し、この瓊花の原産地、中国揚州のお寺大明寺から苗木を取り寄せ、内1本は靖の故郷伊豆の中伊豆に植樹し、他の1本は鑑真が創建した唐招提寺に植えられた、と出ていた。
揚州は鑑真が生まれた故郷で、彼はそこの大明寺で修業した。井上靖は「天平の甍」で奈良東大寺大仏開眼式に遥々中国からやって来た鑑真和上を取り上げていた。もしも奈良に行く機会があれば、唐招提寺に寄って、その瓊花を見る機会があれば、見てみたいと思っていた。
唐招提寺はもう何年も前に一度来ている。奈良、西ノ京にあり、薬師寺と唐招提寺は近い場所にあり、薬師寺の五重塔を見た後、狭い昔の路を歩いてこの寺までやってきた。その距離は200~300m程だ。唐招提寺はそれ以前に読んだ「曼荼羅の人」とか、芭蕉の句「若葉して御眼の滴拭わばや」の記憶もあって、鑑真像を見たかった。
唐招提寺の大きな山門は一段高くなっていて、その山門を入った真っすぐの正面に本堂がある。写真でも見ているし、以前来た時に見た記憶はそのまま残っている。以前来た時はそのまま本堂の前を通り祖師堂に向かい、そこに収められている鑑真像にお参りしたが、乾湿造りは先の興福寺阿修羅像と同じ造りで、木彫と違って人の優しさが表現されていた。
この鑑真像はその後上野の博物館へも出開帳で展示され、再び見ることになった。鑑真の半眼の眼、その時は既に失明していて、光程度しか見えなかったと思うが、その眼差しには仏教(律宗)をこの異国の地、日本に招来することができたという、安堵の気持ちが表れていた。
今の季節なのか本堂の前の蓮のおお盆には蓮の花が綺麗に咲いている。コロナも解県外移動が禁になって、参詣客も増えている様だ。有名な寺だけあって、学生の団体も見える。食堂(じきどう)の前を通って、祖師堂に向かう。何か多少、境内の配置などが変っているようだ。目指す祖師堂が見当たらない・・。
本堂は今日は高校生の団体が来ている様だ。
本堂の前の蓮が早くも咲いている。
祖師堂はこの食堂の先だ。
足が悪くなったせいか、食堂がこんな長細く、長い建物とは記憶になかった。