79回目の敗戦記念日を迎えた。政府マスコミは国民を騙すがごとく言葉を変えて、敗戦を終戦と言う。確かに79年前の今日、戦争は終わったのだから、終戦には違いないのだが、その終わり方は日本が徹底的にやり込められて、連合国から押し付けられた無条件降伏をしぶしぶ受託し、その内容は完全敗北だった。その完全敗北を国民には終戦と言う言葉で置き換えて、実態を隠したのだ。国は戦争に負けても尚且つ国民を騙そうとした。そのお先棒を担ぐマスコミも一緒になって終戦と言い、どこの社一つも敗戦記念日と言わないのは、国民を愚弄している。
敗戦の結果、日本は連合国の占領、支配下に置かれ、そこから漸く自立できたのは、昭和27年のサンフランシスコ平和条約まで待たなければならなかった。しかし当面の独立は得られたが、その独立の引き換え条件で日米地位協定が結ばれ、実態は尚且つ完全独立国とはなっていない。戦争に敗れた結果の頸木が79年経った今日まで続いているし、現状、自民政権がこの先もずっと続く限り、完全独立は得られないだろう。
今から4年前の戦後75年。この時は新聞紙上などで良く取り上げられていたが、明治元年から敗戦までの昭和20年まで75年。この戦前の75年間は、台湾出兵、朝鮮出兵から始まって日清日露の戦争、第1次世界大戦、日支事変、太平洋戦争と殆ど戦争続きで、国は兵隊の損耗と引き換えに潤ってきた。国内の不景気を解消する目的で海外出兵なども画策した。戦争特需は戦後直ぐの朝鮮戦争時に初めて出て来た言葉のように思われるが、内実はそうした特需は戦前からもあった。軍部も戦争の度に軍備を拡張し、予算を増やし、自己肥大してきた。
ただ戦争が長引き、拡大し、大規模になるに従い、特需よりか国民負担が大きくなり、継戦に困難を来たすようになってきたが、国は国民にその実態を隠し、精神論、愛国心にすり替えて、国民に更なる負担を強いて来た。
敗戦によってそれまでの構図が180度一挙に転換し、憲法9条に代表される平和憲法を押し抱き、戦後の75年間、国連主導の海外派兵はあっても、自らの意志で軍隊を海外に出兵し、他国との戦争をすることは無くなった。日本人は元来は平和主義者で、明治になる以前の徳川260年間、国内での戦争は全く無く、当然外国との戦争も皆無だった。それ以前の豊臣時代がやや特殊で、戦国の世が終わり、行く場を失った戦闘集団の利活用、並びに海外への版図拡大を目的に朝鮮に出兵したが、それは戦前の日本の状況と似ていた。それ以前の海外出兵は1000年も前に遡る天智天皇の朝鮮出兵で、それは百済王朝を救済する目的で、版図拡大ではなかった。
それ以前の海外での戦いはずっと昔の2‐3世紀の三韓征伐まで遡り、これ自体定かな史実が明らかになってはいないが、いずれにしても日本は有史以来の2000年間、自らの意志で海外侵略をしたのは、豊臣期の数年間と戦前の75年間に限られ、元々はこの孤列島に安住し、海外派兵、侵略などは全く考慮しなかった。だから戦前の75年間の自己膨張した結果の海外侵略は日本の歴史からして異常なことだった。
憲法9条を墨守すべきか、核武装をすべきか、今の自分の浅慮では是非を論じられない。しかし日本人は平和を愛好する国民であり、戦後の79年間、一度たりとも自らの意志で海外出兵したことはなく、その結果としての戦乂を交えることがなかったのは、世界に対し誇れることであり、大いにPRすべきことである。広島出身の岸田総理が何のために総理になったかと言えば、そうした理想を世界に広める伝道師たるべきだったと思うが、G7首脳を広島に招いただけで終わり、殆ど何もしないで総理を辞めて行くのは、残念だった。
敗戦を終戦と言い変え、明らかな軍隊を自衛隊と言い換え、憲法9条の軍備の不保持を解釈でいじくりまわし、訳の分からない状態に軍隊を放置し、結果、国防意識を低下せしめ、日米安保の名の下に日本を半従属国の立場に貶めている。次の総理が誰になるのか知らないが、次の総理は是非、日本の完全独立と平和国家の世界への活動、自律的な国防と国民負担、等々、真正面から国民に向かって取り組んで行ってもらいたい。