ちゃおチャオブログ

日々の連続

秋の札幌4日間(11)中山峠を戻って市内の樋口中将記念館へ。

根雪の残る中山峠を後に、市内に戻ることにした。

 

国道は渋滞もなく、快適な大自然の景観が楽しめた。

 

前方に特徴のある三角山が見えるが、名前は分からない。

 

根雪の残る中山峠ドライブイン兼土産物店で、それぞれお気に入りの土産品を買って、市内に戻ることにした。店内にはいろいろな土産品が販売されていたが、ここの名物は「峠の揚げ芋」らしい。それを知ったのは東京に戻ってからで、北海道に詳しい悠久さんから教えてもらった。後で分かったのだが、自分達が行った時には、この大きな土産店にはそんな宣伝文句も表示もなく、長い間のコロナ禍で客も少なく、営業形態が変わっていたのかも知れない。

国道は一部工事規制で信号待ちがあったが、それ以外は渋滞もなく、秋の北海道の快適なドライブ日和で市内に戻った。今日のこれからの時間、稲さんの発案で市内にある樋口中将記念館へ行くことになった。樋口中将と言っても大半の人は知らないだろうが、戦記に詳しい人に取っては超有名人だ。それは何よりも日本の戦記に記録されるキスカ撤兵作戦で、この方面を指揮していた樋口中将の采配で、キスカ守備隊を夜陰に紛れて無傷で撤収させた。

リュウシャン列島に位置するキスカ島とアッツ島に配備された日本軍は圧倒的な力で押してくる米軍に対抗できず、まず最初にキスカ守備隊が全滅させられた。日米開戦後「玉砕」という言葉が使われたのは、このアッツ玉砕が最初だった。中将はこのアッツ撤収も大本営に進言したが受け入れられず、結果、兵士は玉砕した。その後のキスカ戦に関しては、中将の強硬な申し入れによって無傷の撤収が行われたのだが、その後の太平洋南方洋上での数々の玉砕戦を思うと、中将の作戦指導が大本営作戦部に行かされなかったのは残念だった。

その樋口中将記念館は札幌市内を通って、豊平川を渡った月寒地区の住宅地の中にあった。そこは以前の師団長官舎を戦後改装して月寒資料館として札幌市が運営しているものだった。北方の樹木が林のように覆われている中にレンガ造りの資料館はあった。閉館間近で我々以外に入館者もなく、ボランティアと思われる初老の館長が我々を丁寧に案内してくれた。北海道の歴史、中将の人となり、新たな歴史の勉強にもなった。

 

  • 市内に戻って、今日最後に訪問したのは、樋口中将を記念する月寒資料館だ。

    • ここは戦前樋口中将が住んでいた師団長官舎を改装したもので、白石区月寒(つきさっぷ)地区にある。

       

      敷地には高い北方の樹木が林のようになっている。紅葉も綺麗だ。


      2階建てになっていて、1階部分には北海道の古い石器なども展示されている。