ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国巡礼・琵琶湖周遊の巡礼記(16)長浜街歩き。旧駅舎へ。

長浜港近くの公園。人もいない。

 

 

  • コロナのせいか、人口減のせいなのか・・。

  • 市街地に向かって歩いていると、天理教会の建物を過ぎ、更にその先に小奇麗な庭園が見えた。

案内を読むと、ここは明治天皇行幸の場所で、この庭園はお旅所、慶雲閣があった場所という。

 

 

長浜は歴史の古い町だ。と言っても、奈良京都にあるような平安平城時代から続く本当に古い町ではなく、戦国末期の織豊時代から始まっている。名古屋中村生まれの秀吉が信長の草履取りになってから、ドンドン出世して遂には股肱の大名にまで出世した。賤ヶ岳合戦の功績が認められ、秀吉最初の城持ちとなったのが、ここ長浜城で、城割はその頃から始まって現在に続いている。従って町の歴史としては関ヶ原以前だから、かれこれ450年程にはなる。

レストラン「みなとやキッチン」で遅い昼食を食べ、街中に向かって歩いている途中、左手、琵琶湖の手前の埋め立て地のような所に、三層の小ぶりな天守閣が見える。それは戦後の最近になって再建されたものだろう。周辺には街並みはなく、葦原の埋め立て地のような場所に建っている。信長がこの町の近くに建てた豪壮なお城「安土城」は本能寺の変後に消失したが、秀吉の建てた長浜の小城など、もうとっくの昔に無くなっていた。戦後小田原城が全国に先立ってコンクリートの城を再築したが、ここ長浜城もそうだろう。今様のコンクリの城を見に行っても意味はない。と言うか、足の疲労で、そこまで行く元気はなかった。

街中に向かって歩いていると、旧市街に出て来た。江戸時代以来から繁栄している商人の町。ここは北国街道の要衝で、東海道東山道なども交わっている。以前、伊吹山に来た時は長浜駅前のビジネスホテルに泊まって、街は素通りしただけだったが、今日は徒歩で街中を歩き、いろいろと観察が出来る。そんな中に天理教会の古めかしい建物があり、その横に旧長浜港の石碑などある。ああ、昔の湖はこんな奥深くまで入り込んでいたのか・・。とその直ぐ先に、小奇麗な庭園風の公園があり、角に明治天皇行幸の石碑が立っている。その小奇麗な庭園は、嘗て明治天皇が宿泊された迎賓館「慶雲閣」があった場所で、今は綺麗な史跡公園になっている。

庭園の中を散歩する人も見えず、自分も足の疲れもあって、わざわざ中まで入り込むことはせず、外から園内を眺めたが、いろいろと庭木が植わっていて、時間があったらゆっくりしたい場所だ。その園の向かいに鉄道記念館がある。何かと思って案内板を読むと、この建物は現存する駅舎の中で最古のもので、この長浜駅北陸本線の当時の始発駅で、明治15年の建築と言う。・・そうか京、大阪からやって来た人々は、大津で船に乗って先刻の旧港跡まで来て、そこから100m程先のこの駅舎まで来て、汽車に乗ったのか・・。ああ、物流にしてもそうだ。敦賀に陸揚げされた物資は鉄道でここま運ばれ、その後は琵琶湖の舟運で、各地に離散して行った・・。この建物、案内板を読んで、遠い明治の時代を思った。この駅舎が出来た頃明治天皇がやって来て、向かいの慶雲閣に宿泊し、・・その後、天皇はどこへ向かったのだろうか・・。

 

その道路の向かいには鉄道博物館がある。

 

案内文を読むと、この旧長浜駅は国内で現存する一番古い駅舎とのことだ。

 

明治15年築というから相当古い。

 

鉄道記念館も慶雲閣も中には入らず、旧市街に向かった。