ちゃおチャオブログ

日々の連続

12.11(水・晴れ)80年目の平和賞。

 

来年は終戦から80年。終戦直前に落下された2発の原爆。広島と長崎、併せて20万人を越える市民が犠牲になった。数年前、オバマ大統領が現職としては初めて広島を訪問し、平和の碑に献花した。75年前、原爆投下を命令したトルーマン大統領の後継大統領であったが、被害者団体の坪井さんとは、碑の前で抱き合い、坪井さんは涙を流していた。戦争の災禍を過去に押しやり、広島平和公園での平和への邂逅だった。の筈だった。

 

本来原爆の被害者、被団協はもっと早くにノーベル平和賞を受賞されるべきだった。半世紀前、沖縄返還時の佐藤総理が、核3原則をアピールし、日本人最初の平和賞を受賞した。核のない世界。日本はGNP2位の大国ではあっても、核は持たず作らず持ち込まぬ。当時まだ中国もインドもイスラエルも核は持っていなかった。日本が率先して、そうした核のない世界を構築する推進役になるのだったら、平和賞には値するだろうが、現実はそうではなく、米国の核の傘の下で保護され、核不拡散会議にも参加していない。

 

それから数年前、核の廃絶を訴える世界団体、ICanが平和賞を受賞したが、この時も違和感を覚えた。何故、現実に核の被害にあった日本人の被団協が先に、最初に受賞しないのか・・。ノーベル平和賞とは言え、政治と全く無関係はあり得ず、世界の政治パワーの影響を受けているのだろうと・・。

 

被爆から79年目。遅かりしとは言えど、今日漸く被爆者団体が平和賞を受賞した。42歳のノルウエー人平和賞選考委員長と92歳の被団協代表の田中さん。50歳の年の差はあるが、数年前のオバマさんと坪井さん同様の再びの邂逅だった。二人の平和への希求、原爆の無い世界への構築。

現実に被爆し、今現在生存している被害者が何人いるかは知らない。被団協の生存者メンバーももう100人はいないだろう。今日田中さんがオスロでスピーチしたのは、最後の機会になった。しかし歴史には刻まれた。

 

一方でロシアのプーチン、北のジョンウン、イスラエルのネタニヤフ。何を仕出かすか分からない非人間が大手を振っている。戦術核の使用はこの先30年以内には現実のものとなりそうだ。使用のバーはどんどん下がって来ている。彼等は、又関係者は精神は鈍麻し、麻痺し、いつゴーサインを押すか分からない。果たしてこの先の100年、いや、今世紀末までの80年、地球の平和は維持できるのか・・。トインビーが言うように、少なくとも200年先、この地球に人の文明が存在しているか否かも分からない。時間が後戻りしないように、時間は日々前に向かって進んでいく。同時に30年50年前には高いハードルだった核の使用も、これからは巻き込んで、時代は進んでいく。自分には200年後の地球の姿を想像できない。全面核の撃ち合いになったら、地球は破滅だ。