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正面の石段ではなく、横の入り口からお寺に入るが、昔の神仏習合の名残を残し、入り口には鳥居が建っている。
この本堂は戦国時代の再築であるが、重文となっている。
本堂の右横には三重塔が建っている。これは最近の平成になってからの補修である、重文となっている。
バス停から真っすぐ伸びる石段の参道はとても登る元気はなく、お寺まで通じる車道を歩いて登って来たが、道路は大きく蛇行していて、直登の5倍くらいの距離はある。それでも休み休み登って来たので、お寺まで来ることはできた。2-3台車でやって来た参詣客が、下からぐっと近づいてきて、あっという間に追い抜いて、先に進んで行ったが、本当にヒッチハイクでもしたい気持ちになった。しかしこんな誰も歩いていないような場所で止まってくれる車もないだろう。夫婦連れのドライバーを恨めしく見送るしかなかった。
2年前、四国の巡礼で、最後の霊場、大窪寺へレンタカーで行った時、もう夕方近くになっていたが、歩き遍路の初老の巡礼者がきつそうに登り坂を歩いていた。車を止めて、もう閉門近い時間になっているので、「乗って行きませんか?」と言葉を掛けた処、その巡礼者は「おおきに、自分は門前の宿屋に泊まるので、大丈夫です。このまま歩いて行きますよ。」とやんわりと断わられた。「おおきに、おおきに」、と3回位、お礼を言われた。その時のことを思い出しながら、坂道を登って行ったが、ここではそんな奇特なドライバーはいないようだった。
大きく蛇行している車道で、時間が随分かかったが、境内から眼下の琵琶湖を見る限り、標高は200mも無いだろう。お寺の正面に回って、直登の石段を眺めると、真っすぐ下に落ちている。石段の数は808段。段差が30cmとすれば240m、20cmなら160m。自分のような杖をついた巡礼者は別にしても、普通の人なら、真っすぐ登ってくるのも大きな苦にはならないだろう。
眼下の琵琶湖を眺め、一時ほっとし、湖面に見入る。昔と違って湖面には船影は見えない。苫舟も見えず、今は漁師の数も随分と減っているのだろう。季節は違うが芭蕉が舟を浮かべ、「行く春や 近江の人と 惜しみケリ」を思い出す。春の季節、湖の周辺のあちこちに咲き誇る山桜が見られたことだろう。
聖徳太子が刻んだと言われる千手十一面聖観音にお参りし、長寿を感謝する。古くは景行天皇時代に竹内宿祢がこの地を訪ね、柳に寿命長遠を刻み祈った処、300歳以上の長寿を保ったと言われる。で、その後聖徳太子がここを訪れ、伽藍を建立。長命寺と名付けた。この秘仏も本堂も本堂の先に見える三重塔も重文だ。山中の寺にて参詣客もほぼ皆無で、静かにゆっくり心経を唱え、再び眼下の琵琶湖を眺め、登って来た車道を再びゆっくり下山した。
お参りを終え、眼下の琵琶湖を眺める。
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本堂の直ぐ下の石段から本堂を眺める。よく登った!
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「往く春を近江の人と惜しみけり」、芭蕉。
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膝が曲がらず、この808段の石段を下り降りるのは到底無理だ。