去年は確か大分遅れてからお宮参りをした。新年の宮参り、早い遅いに拘る必要はないが、一度済ませて置けば後が楽だ。天気も良く、今日天神社、笠森稲荷、御嶽神社にお参りする。天神社、御嶽神社には今日でも数人ちらほら参詣者は見えた。去年の平安のお礼をし、今年も又平和と平安、健康と金満を願う。毎年繰り返し行ってきて78年過ぎた。今年も又、同じように、例年通りに過ぎて行くだろう。
以前でもお正月に日の丸を揚げる家は極く少数だったが、最近では全く見ない。他の旗日、子供の日とか文化の日、憲法記念日、勤労感謝の日などは、100軒~500軒に1軒位に見かけることはあるが、それでも以前と比べると、掲揚する家庭はガクンと減って来た。日本の家庭からは国旗が消えてしまったようだ。尤も家庭に入り込んだ国旗掲揚の歴史は浅く、高だか明治以降で、それが更に深く入り込んだのは日清日露戦争以降で、外国との戦争の中で、国威発揚、愛国心高揚の目的で広まった。それ以前の西南戦争でも、維新の戦いでも日の丸の概念は無かった。
戦後80年。太平洋戦争が終わって80年、この国は全く戦争と言う物が無く、国威を発揚する機会も無く、従って国旗を揚げる機会も減って、各家庭、国民の中から旗日に国旗を揚げる行為は忘れされて行った。今の小中学校でどんな行事があるのか知らないが、入学式とか卒業式、運動会などには今も尚、掲揚されているだろう。家庭面での国旗の掲揚は殆ど学校行事に限られてきた。尚、政治の場では総理会見に限らず、各大臣の会見の場には日の丸が置かれていて、各大臣はその国旗に一礼して会見を始めるが、殆ど形骸化した儀礼行動になっている。それは小学校の運動会での国旗掲揚と同じ意味あいだ。
神社への往復、国旗は一つも見なかったが、門松も極端に減って来ている。敷地の広い、大きな家からも門松が見えない。松葉を飾っている家は100軒~300軒に1軒程か・・。玄関にお飾りを掛けている家は更に少ない。日の丸同様、門松の文化も日本の家庭から消えていく。二戸一住宅、三戸一住宅のような古い家を壊し、そこに新たに2戸建て、3戸建ての新住宅を建てている家には全く見えない。そこには小さな子供も同居していると思うが、その子供が大人になって、お正月には門松を立てるなどの日本の文化はもう忘れされているだろう。
子供が小さい頃の自分の家では、門松は無理としても松飾りを買ってきて門扉に立てたり、正月飾りを玄関ドアに飾ったりしていたが、周りの家がそうすることをやらなくなり、自分の家でもいつの間にかやらなくなった。最初の数年、何か心に隙間風が通り過ぎるような心もとない気持ちになったが、それもいつの間にか普通の事になった。今では無いのが当たり前になっている。門松など、小さな一つの文化かも知れないが、日本の正月から消えていくことには、淋しさを感ずる。日本がそれだけ貧乏になってきた、裏返しの現象か・・。