ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国巡礼・琵琶湖周遊の巡礼記(29)三井寺を下山する。

以前来た時は弁慶鐘は参道の横に殆ど無造作に置かれていたが、今は霊鐘堂の立派な建屋に収められていた。

 

再び本堂の前を通り、大門に向かう。

 

本堂横の石段を下りれば、出口(入り口)の大門までは直ぐだ。

 

石段を下りた先に出口(入り口)の山門が見える。

 

 

弁慶が比叡山に持ち帰ろうとした大鐘、その余りにもの重さにさしもの力持ち弁慶も持ち去るのを諦めて、坂の途中で投げ出した重文の弁慶鐘。弁慶の引き摺り鐘とも呼ばれていて、この寺では弁慶が持ち去ろうとした際、大鐘は行きたくない、行きたくない、と泣き出したので、弁慶は仕方なく置いて行った、との言い伝えもある。

自分も以前この寺の少し先の坂本にある日吉大社の横から歩いて比叡山まで登ったことがあったが、当時の記憶ではそれ程の急坂とは思えず、ごく普通の山道、杣道で、確か1時間位で登った。日吉大社の名前のように、雑木林の奥からサルの集団が出てきそうな山道だった。比叡山の麓坂本にはお寺関係の高僧の住まいが並んでいて、贅沢な造りの庭と塀に囲まれた邸宅には比叡山延暦寺関係の高僧の住まいと思われた。お寺関係者はこの坂本と山頂とを日に何回か往復していたのだろう。

そんな昔の事を思い出しながら、霊鐘堂を後にした。以前来た時はこんな立派な御堂ではなく、参道の横に裸同然に置いてあったが、三十数年の間に見栄えを良くしたのだろう。再び本堂の前を通り、一礼し、その横手の石段を下り、大門に向かう。以前は車でやってきて、この大門から入山したのだ。土産物兼休憩所も綺麗に整備されていて、駐車場も広くスペースを取っている。30年の時は、変わる所は変わって整備され、近代的になった。遅い昼めしをこの中の食堂で済ませ、タクシーで大津駅に向かった。

 

大きな山門、仁王門だ。

 

  • 大門横の重文釈迦堂。

  • この大門は何百年経っても変わらない。

     

    広い駐車場の前の土産店兼休憩所の中の食堂で、遅い昼食を摂る。