ちゃおチャオブログ

日々の連続

4.2(水・小雨)反町お前もか! 戸田城聖、命日。

 

 

10年程前、BSフジの8時からの報道番組プライムニュースのキャスターに起用された反町理。中々切り口も面白く、他局の番組も面白くなく、よく見ていたが、彼の頭の悪さに新鮮味が薄れ、最近では殆ど6chの報道1930を見ている。こちらのキャスター松原さんの方が頭も良く、切れもよい。又コメンテーターの堤真輔さんも真面目でしっかりした意見の持ち主で好感が持てる。

 

その反町キャスター、先日の第3者委員会でヤリ玉に上げられ、パワハラ、セクハラが認定された。どんな顔でテレビに出ているかと、月曜日BS8にチャンネルを合わせたが、時々代役で出て来る丸ぽちゃの切れの悪いキャスターが出てきていた。

 

反町がプライムニュースを担当するようになってから、めきめき頭角を現し、論説委員長になったり、数年前には大きな会場を借りて500人以上の関係者を集めて、放送開始20周年か何かの祝賀パーテイを開いていた。お酒が入っているのか、真っ赤な顔をして、得意絶頂の挨拶をしていた。そこに当時の岸田がいたかどうか定かに記憶していないが、政財界の大物も多数駆け付けていた。

 

いつも間にか彼はフジの取締役まで上り詰めたが、多分、その頃だろう。時々、プラムにチャンネルを合わせ、見ることもあったが、どうも進行具合が横柄で、腐臭の匂いがしていた。その時は、よもや彼が役員になっていた、などとは思いもよらなかった。

 

 

いつの頃からか慢心があったのだろう。部下の女性を人間とは見ずに、セックス、パワハラの対象とみていた。今回の騒動で彼も一緒に取締役を解任された。今年で本年60歳になる。ついでに会社も辞めて、菅直人が以前したように、四国八十八ケ寺の巡礼に出も出たらよい。少しは世の中の事も見えて来るだろ。

 

池田大作と言われたら殆どの日本人は知っているが、戸田城聖と聞かれても、知っている日本人は少ないだろう。半分以下、1~2割の人しか知らないと思う。

戸田城聖創価学会2代目の会長で、池田氏の前任者だ。その戸田会長、今日が命日で、新聞を見ると、58歳で亡くなった。存外長生きはしなかったが、学会に取っては残した功績は大きい。

 

西行法師の「願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」と詠って、その願い通りに旧暦の2月16日に亡くなったが、それはお釈迦様が入寂した1日後の日だ。

戸田会長も桜を好んだようだ。丁度満開の頃亡くなった。本望だったに違いない。

 

戸田姓は珍しい。直ぐに思い出すのは戸田弾正で、三河の譜代だ。その系譜に大垣藩戸田家がある。西伊豆に戸田という集落があるが、そこは「ヘダ」と呼ばれる。言い伝えではアイヌ語系で、八戸の「へ」と同様で、アイヌ語では「戸」を「へ」と読むらしい。青森には五戸、六戸などの町名が今でも残っている。

 

徳川の時代になってから、戸田は関ヶ原の軍功で、伊豆の守を与えられ、下田にも領地を得た。その頃、伊豆の戸田がどうなっていたかは詳しくは知らないが、半分は沼津藩、水野家に支配され、半分は天領、旗本支配だった。その頃、この集落が戸田と呼ばれるようになったのか・・。戸田家と水野家は縁戚にあるようだ。戸田集落をトダと呼ばないで、ヘダと呼ぶようにしたのは、戸田家に対する遠慮もあったのか・・。いずれにしても歴史の闇だ。

 

今日の新聞には俳句師坪内稔典の記事も出ていた。佐田岬出身で、自分と同年だ。毎日新聞にも俳句記事が毎日出ているが、本誌の俳句選者にもなっているらしい。高浜虚子の本を出版したらしい。本当は、今日のような日は、桜にちなんだ俳句なり、西行にちなんだ短歌の記事だったら、より戸田会長へのオマージュになったに違いない。