ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国巡礼・琵琶湖周遊の巡礼記(40)第21番穴太寺散策。

寺は明智の亀岡攻めで一度は焼け落ちたが、江戸時代に再建された。

 

古い建物は無いが、庭は自慢である。

 

境内には参詣客もちらほら見えるが、秋の紅葉にはまだ早いか・・。

 

  • 庫裏、方丈の奥にある庭園は池泉式で、京都の自然記念物になっている。

 

琵琶湖の穴太衆とこの寺との関係は分からなかったが、寺の創建は古く、平安時代となっている。穴太衆の一部がこの地にやって来て、石工から農業に転じたのかも知れない。平地の中にある寺の境内には石工の技と思えるような石組は見たらず、矢張り関係はないのかも知れないが・・。寺は明智光秀の亀岡攻めで焼き討ちに会い、その後、江戸時代に再建されたが、100年後には再び焼失し、今見る本堂は江戸時代の再建だ。従ってここには重文に指定されるような建造物はないのだが、唯一、平安時代作のご本尊聖観音像は江戸時代の被災を免れたものの、昭和になってから盗難にあった。

この寺で誇れるものは庭園で、本堂と渡り廊下で繋がっている庫裏、方丈の奥に池泉様式の庭園があって、京都府有形文化財となっているが、帰りのバスの時間もあって、表玄関から奥を眺めるだけで、境内を一巡し、バス停に戻った。境内はそれ程広くはないが、良く整えられていて、古刹の趣はあった。

京都からも近く、京阪神から車で簡単にやって来れる地理的近さもあるのか、境内にはマイカーでやって来たと思われる参詣客もちらほら見えるが、秋の花を求めてきたとすれば、季節にはまだ少し早いと思われた。境内を一巡し、再び先刻の仁王門で一礼し、バス停に戻ったら、程なくして亀岡行のバスがやってきた。

 

帰りのバスが心配で、玄関先から奥を覗くだけにした。

 

中々綺麗な庭園のようだ。

 

本堂に一礼し、寺を辞す。

 

仁王門にも別れを告げる。