
今日、日本武道館で両陛下、首相、衆参議長、その他各界の要人を迎えての終戦祈念の式典が行われた。お昼の時報を合図に1分間の黙祷。陛下のお言葉は例年通り。総理談話が出る出ないのと、やかましかったが、結局総理談話は出ずに、日を改めて、所信を表明するようだ。総理は冒頭の開催の辞で、反省の言葉を述べていたが、所信も同様の物になるに違いない。
今思う。80年前の今日、国民はどう思ったか・・。親父の話では、当時珍しかったラジオを本堂の縁台に出し、近所の人が何人か集まって来て昼の玉音放送を聞いたが、雑音が多くて、話している意味は殆ど聞き取れなかったようだが、これで戦争は終わったとの理解はできたようだ。映像で見るように、人々が落胆し、泣き崩れ、地団駄を踏み、激高したという風は無く、放送後、何故か万歳を三唱し、それぞれは帰って行ったとのことである。戦争終結を喜ぶ風はなく、日本が破れたことに悄然として互散したようだ。話している内容の意味は不明としても、陛下の声、玉音を聞いたということで、自然とバンザイが出たのだろう。明日から戦争が無くなるとか、喜ばしいとかの感情では無く、殆ど感情が表に出ない、戦争終結と言う事実の受け止めのようだった、とのことである。
陸軍は内心はどうあれ、戦争の最後の最後まで尚強がりを言っていたようだが、海軍には既に戦う戦艦もなく、6月の沖縄戦では最後の虎の子、大和すらも片道燃料で沖縄特攻に出さざるを得なかった。海軍にはもう既に米軍に対抗できる艦船は無く、19年7月、サイパンが陥落して以降の日本の空は米空軍の独壇場で、思う日時、思う場所への空爆が可能になっていた。軍上層部、識者は日本の勝ち目はないことは分かっていたが、それを口に出すことは出来ないし、又そんな人もいなかった。
窮鼠猫を噛むとは言え、尚日本の名誉ある戦争終結を画策し、終戦間近になって火事場泥棒のソ連に停戦の斡旋工作をしていたとは、笑うに笑えないブラックジョークである。海外の情報は入って来ないし、無論、それを伝えるスパイ網も根絶していた。ソ連はベルリンが陥落するする以前の2月、クリミヤ半島のヤルタで連合国の一員として、ドイツ、日本の戦後処理の会議に参加していて、ソ連軍も満州、樺太、千島に攻め入ることも合意されていた。正に日本は情報が途絶した窮鼠の状態だった。
それでも、地上戦に持ち込めば何とかなる、という僅かな希望もあった沖縄戦。圧倒的な米軍火力の前に成すすべもなく、いたずらに10万人もの県民を犠牲にしただけに終わったが、この時点で降参する道もあったが、国体護持に拘った結果、戦争を長引かせ、更に100万人の国民を犠牲にさせることになった。その中には広島、長崎の原爆による犠牲者20万人も含まれている。軍部は国体護持にかこつけて、自身の地位保全を画策していたに過ぎず、その結果、多くの国民を犠牲にすることになったのだ。
情報が正しく国民に伝わらず、その警鐘者としてのマスコミも御用新聞に成り下がり、真実を伝える努力よりか、大本営発表を大々的に伝達するラウドスピーカーになって、国民を瞑目の泥沼に引きづり込んだ責任は大きい。真実を報道すれば獄につながれる恐れもあったが、御用新聞となって、国民を誤った方向に誘導した責任は大である。
普通の頭を持ってすれば、竹槍で相手の戦車を打ち負かすことなど、あり得ない話で、小学生でも理解できるたわ言ではあるが、大の大人が精神論を持ち出し、気の力は武に勝るなどと、前近代的な論法で国民を誤誘導し、遂には1億玉砕などの勇ましいプロパガンダで、国民をその気にさせ、結果、300万人を越える犠牲者を出した軍部の責任は重大である。その軍関係者は極東軍事裁判で裁かれ、ある者は死刑になり、多くの軍人は投獄された。
しかし、東京、大阪始め、全国の主要都市は空爆による甚大な被害を受け、多くの人命、財産を失ったが、この結果責任に対する国民からの追及の声は殆どでなかった。この結果をもたらしたのは、戦争を始めた軍部であり、いたずらに戦争を長引かせた軍部であったのは明らかだが、国民の誰一人、軍人、軍部を提訴する人はでてこなかった。1億総懺悔などのまやかしの言葉で丸め込まれ、国民全部に結果責任があり、等しく耐えがたきを耐える同調意識の中、軍部、軍人に対する矛先は埋没して行った。今日の石破総理の「反省」の弁も、諸外国に与えた被害に対する反省で、軍部が戦争開始から終戦までの重大な岐路で、幾つもの判断誤りをした結果、国民に甚大な損害を与えた結果に対する反省ではなかった。
敗戦直後の東久邇内閣の総理冒頭発言で、日本国民総懺悔が述べられ、戦前戦中の1億玉砕から戦後の1億総懺悔にプロパガンダは180度ひっくり返ったが、国民の誰も異を唱えず、従った。神国日本は負けても尚神の国の国民で、戦争責任も一緒、みんなでやった戦争だから、みんなで等しく耐え忍ぼう、だった。それを民族の意識と言うか、洗脳と言うか、自分には分からない。平安時代から続く、長い農耕生活の中で、民族の意識が育まれてきたのだろう。
