ちゃおチャオブログ

日々の連続

播磨の国の巡礼記(7)丹波篠山にてボタン鍋ではなく、とろろ豚丼を食べ姫路へ。

丹波篠山城の石垣、見納めだ。

 

もうここまでやって来ることもないだろう・・。

 

郵便局の前には大正ロマン館という観光客相手の土産館がある。

 

  • お城やこの町の案内が出ている。

播磨と摂津の国境がどこか良く分からない。ここ丹波篠山は名前の如く、昔の丹波の国だろう。隣にその名前の通りの丹波市がある。ここは以前は篠山市だったと思うが、いつの頃からか丹波篠山と呼ばれるようになった。朝の清水寺へのバスの運転手も、こちらが単に篠山と言ったら、丁寧に?丹波篠山と言い返して来た。今思えば、ご丁寧に「丹波篠山」と呼ぶことに誇りを持っていたのかもしれない。ここは丹波の国の篠山だ、と言った誇りがあるのかも知れない。

戦国時代のこの辺りの地勢図がどんなだったかは想像も出来ないが、多分、日本海と瀬戸内を結ぶ重要な街道筋、幹線道になっていたに違いない。戦略上の要衝だ。そこで家康は藤堂に命じ、この場所に豪壮な城を築城させ、見張りと守りを兼ね備えさせたのだろう。代々の城主は徳川の縁戚に当たるものだった。

足の疲労も激しく、お城の中に入るのは止めて、外から石垣を眺めただけで引き返すことにした。お城と旧町内のほぼ中間位の場所に立派な郵便局が建っているが、人口減少の小都市にしては相応しくない大きさだ。お城にも近く、この辺りには藩の重役、城代家老や奉行職の大きな屋敷、或いは旅籠でもあって、戦後それ等が取り壊されて、近代的な郵便局に建て替えられたのかも知れない。その向かいには「大正ロマン館」という物産展示を兼ねた土産センターがある。

旅行に行くと、大体その土地の特産物を孫に買ったり、別荘をお願いしているが、この西国巡礼でも敦賀、大垣、京都からも宅配便を送っている。この大正ロマン館でも地元の黒豆とか乾物をパックしてもらい、段ボール箱にはそれでもまだ十分なスペースがあり、旧町内の角にある土産店で地元産のお菓子などを買い足し、ロマン館へ戻って一緒に箱詰めしてもらった。今回の旅程は2泊3日と短く、最初の日に孫への「義務」を果たして置けば、後は楽だ。お土産を物色しなくて済む。

ロマン館の少し先、角に孫への土産品を買った乾物屋があるが、そこの通りが旧町内の目貫になっている。古びた町並みで、辛うじて通りを保っていると言った感じだ。店舗も少ない。江戸時代や戦前戦後、どれ程繁盛していたかは知らないが、地方の禄高もさほど多くない城下町、それ程の賑わいはなかっただろう。今は漸く街並みの画体を残していると言った感じだ。その乾物店の奥隣に大丸という食堂がある。ぼたん鍋の看板も出ている。

ああ、ひょっとしてここで牡丹鍋を食べられるかも・・。店に入ると、昭和の時代の昔風の食堂で、高齢のお婆さん、と言っても実年齢は自分よりも若いかも知れないが、壁にぶら下がっているお品書きを見ている自分に、ここのお勧めはとろろ豚丼が美味しいですよ、と進める。京大の学生や、嘗て有名な学者だった人の名前を挙げて、学生の頃よくやって来た、などと自慢話をする。戦後の間もない頃、観光ブームという言葉が流行る以前の頃、この店も繁盛していたのだろう。ぼたん鍋を聞いたら、今はやっていないとのこと。で、そのとろろ豚丼を食べることにした。たっぷりの量のとろろとイノシシ風のしっかりした厚みの豚肉が合わさって、自慢の品だけのことはあった。

さて、駅へ戻るには又バスに乗って行かなければならない。時間は充分あるからタクシーを使うこともないだろう。それにこの町ではタクシーなど走っていない。バス停は食堂の横の交差点の直ぐ先にある。時間を見ると後10分位でやって来る。その内観光にやって来た高齢ご婦人3人組もバス停にやってきた。こんな1月の冬の季節でも、観光にやってくる人もいるのだ。そう言えば、先の大正ロマン館にも5-6人の客がいた。観光に季節は問わない。好きな時に好きな場所へ好きなように行けばよい。さて、今日の泊まりは姫路駅前だ。どこをどう通って姫路に出ようか・・。

 

 

大正ロマン館の近く、旧市街の角に丹波黒豆の土産店もある。ここでも豆やドライフルーツなどの土産品を買って、ロマン館で一緒にパックしてもらう。

 

土産店の横に大丸食堂があり、お昼を食べる。

  •  
  •  
  • 店のお婆さんの進めるとろろ豚丼を食べる。

  •  

    牡丹鍋の代わりに豚丼だが、まあ、満足だ。