ちゃおチャオブログ

日々の連続

造幣局の通り抜けと醍醐の葉桜(9)東大寺の大仏こと「盧舎那仏」。

東大寺の大仏様。この大仏を拝顔するのは何年振りのことだろう。
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毘盧遮那仏。マハーバイローチェ。
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うーん、打たれる。下種な人間はこの前に長らく佇めない。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
 
 
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次に来るのはいつになるだろうか・・。これが最後になるのだろうか・・。
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大仏殿に入るのは何年振りだろう。この10数年、奈良には何回か訪問しているが、大仏殿に入り、身近にこの大仏さま、毘盧遮那仏を見るのは、本当に久しぶりのことだ。もう、20年、30年は経っているだろう・・・。

通称奈良の大仏として国民の多くの人に親しまれ、幼少時には定番コースとして小中学校の修学旅行のコースに組み入れられ、日本人であれば誰しも一度はこの大仏の前に立ち、見上げ、畏敬か慈眼に打たれ、居場所を変えてもその眼差しはどこまでも追いかけてきた。しかも微笑んで。そうした経験は殆どの日本人がしていることである。不思議な眼差し。

東大寺の大仏。正式名は摩訶毘盧遮那、または盧舎那仏。世界最大の金銅像が1260年前にこの地に鋳造され、2度の災禍に見舞われたがその後再建され、今もここに世界最大の金銅仏像として鎮座している。高さ15m、見上げる高さである。

745年、第45代聖武天皇が、妃光明皇后の後押しの元、天変地異、自身の病気平癒の為、これ程大きな仏像を建立することになったのだが、聖武大仏開眼法要が行われた4年後に崩御した。享年55歳。民間の藤原家から皇族以外に初めての皇后に
立后された光明子は、その後聖武天皇の大半の遺物を正倉院に収め、今、聖武天皇御物となっている。

3年前、佐保川の上流、聖武、光明両天皇皇后が祭られている佐保の陵を参ったが、あの大和川源流の佐保川もこの辺りでは、本当に小川程度の川幅しかなく、今は又近代化の波で周囲は住宅地に囲まれ、この川自体もコンクリで塗り固められていた。あの時は1250年の時代の流れを感じたが、今ここにこうして大仏の前に立つと、そうした時代を超越した静けさを感じた。

摩訶毘盧遮那、マハービルシャナ、マハーバイローチャナ。或いは大日如来仏。この3千世界に遍く光を齎す仏であり、弘法大師空海密教真言宗最高神でもある。8月生まれの自分にとっても守護神である。黒光りする仏に一礼、二礼した。
 
 
 
 
脇侍の日光、月光菩薩だろうか・・
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創建当時の花瓶も今に残されている。
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台座の花弁の模様も尚鮮明だ。
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東大寺びんずる尊者。足が良くなると良いが・・。
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