今回の出張旅行で最後にやってきたのがここ京都三条の六角堂。
小さなお寺ではあるが、かなりの参詣者で賑わっている。
外国からのお客さんも多いようだ。
ここの京都で一番最初に咲く早咲きの桜はとうに咲き終えていた。
熱心にお参りする参詣者。
隣接する池坊本家のエレベーターへ上階へ上がる。
浄土真宗の門徒でもない自分がこの京都の六角堂へお参りに来た理由は、最近、と言ってももう去年になるが、五木寛之の親鸞を読んだ影響からだった。その本の中に修行中の親鸞が、日が暮れてから日夜比叡山を抜け出し、山から下りてきてこのお寺に籠り大般若経初め、幾つかのお経を唱え、朝になって山に戻って行った。そして遂にはこの寺に100日籠り、その最後の日に夢のお告げ、救世観音の夢告を得たという。実にこの寺の寄進者聖徳太子が夢枕に現れたとのことである。
六角堂、祭壇の前で見た限りでは分からなかったが、隣の池坊本家のエレベーターに乗って、上階から下を見下ろすと、その六角の形は正に斑鳩の夢殿とそっくりだった。聖徳太子の足跡は関西各地にあって、昨日歩いた大阪城の出城、真田丸の直ぐ先には太子ゆかりの四天王寺があって、又その大阪城自体が親鸞聖人の何世代か後の蓮如聖人の大阪本願寺の跡地に建築されたものだった。聖徳太子から元三大師、法然上人、親鸞、蓮如、池坊家と連綿と続くこの日本人の庶民の中の精神文化は、今眼下に見ている六角堂に凝縮されているようだった。
再び地表に下りて、六角堂頂法寺に最後のお参りをする。台湾からの外国参詣者なのか、熱心にガイドの話しを聞いている。西国霊場回りの白い法衣を来て、南無阿弥陀仏のタスキを掛けた団体もやってくる。法前で皆熱心に般若心経を唱えている。その中に混じって当方も一緒に心経を唱える。心が洗われる。
以前来た時は気が付かなかった金箔を張り付けられた仏像がある。どことなく東南アジア的な雰囲気だ。大体、日本の仏教に於いて仏像にこうした金箔を張り付ける宗教行為などはなかった。最近自分がしばしば訪問するタイでは、金箔張りは最も盛んに行われているタイ人の仏事ではあるが・・。ひょっとしてこの仏像もタイから請来されたものかも知れない。
仏教は海を越え、世界に広がりを見せている。聖徳太子の和の心、仏の慈悲と救済。これからの世界の混沌、人類の葛藤を救う拠り所となるかも知れない。もう一度親鸞像にお参りし、水子地蔵にお参りし、この寺を後にした。二泊三日の心に残る良い旅だった。
エレベーターの外にその名のごとき六角の屋根が見えてくる。
聖徳太子ゆかりのお寺だけあって、六角の造りは夢殿と共通しているのか・・。
しかしご本尊の如意輪観音は、夢殿の救世観音とは似ても似つかないが・・
西国三十三霊場を回る巡礼者の数も多い。
ああ、こんな所にも金箔の仏像が安置されていた!
良く見れば六角堂。
親鸞像、地蔵像に最後の別れをし、京都を後にする。