ちゃおチャオブログ

日々の連続

旅行の愉しみ<旅先での買い物>。

今回の中国旅行で買って来たお土産品。総額25万円超はちょっと買い過ぎだったかも・・。
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お配り用の紹興酒も沢山買って来ました。
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この白檀の観音様。又々我が家の家宝になるだろう。
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2個の瑠璃。茶器と龍。この二つに10万円を払う価値は十分にある。
 
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見事な天球細工。
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旅行の楽しみの一つにみやげ物の購入がある。訪問した土地土地での名産品、特産品、名品、記念品。旅の思い出にもなるし、又みやげ物として贈られた人からも喜ばれる。後で振り返ってそれを賞味したり、眺め透かしたりして、旅のノスタルジアを思い起こすこともあるだろう。
 
今回の中国旅行、我が年金生活者の懐具合からすると少し買い過ぎた。大盤振る舞いしたキライがある。旅行代金5万円に対し、大小さまざまなみやげ物合計25万円オーバーは飛び抜けた出費でもある。しかしそれだけの価値があると思って自分で決めて大枚をはたいたのだから、後で悔やむこともない。
 
人によっては中国の土産物など大半が偽物で、二束三文の価値しかなく、騙された日本人が後を絶たず、中国人からすれば、ネギ鴨のお客さんだ、と中国製品を酷評するかも知れない。そういう人はそういう人で中国土産を買わなければ良い。買わない人は何も買わず、買う人はそれでも買って行く。偽物か本物かは別にして、良いと思ったからそれなりのお金を払い、重い荷物を抱えて日本に持ち帰る。
 
今回の中国旅行のお土産代金25万円の主な内訳は瑠璃の置物二つと白檀の観音像、それに西冷印社の白梅の掛け軸一つ。掛け軸はもう既に何本もあって押し入れにしまったままになっているが、今回の旅行で同行した友人がパンダの餉餉軸をかったので、それに釣られて買ったようなもの。行きがかり上の買い物だったかも知れない。
 
しかし、10年前、ここ西冷印社に来た時は、掛け軸のあまりもの高さに手が出せず、数千円程度の印鑑を作っただけだったが、今回は、交渉上手の友人に乗っかり、まあまあそこそこの掛け軸が1.5万円で買えるとなれば、買っておいて損はないと思った次第である。錦糸の手書きである以上、偽物も何もない。よしんば、紙に印刷されたものであるとしても、気に入って買ったものだから、ひと様からの容喙は必要ない。
 
今回の目玉商品の一つ、白檀の観音様は、何か買ってくれ、と観音さんから声に出ない言葉によって買ったのかも知れない。それが一つの出会い、彫刻はやや中国風でややきめ細かさに欠けるところもあったが、目に見えない衝動によって買ったようなものである。今ほのかに白檀の香りを嗅ぐに、良い買い物をしたと思っている。
 
同行の友人の言によれば、当方自宅には既に高村光雲の鋳造観音があり、去年バリ島から重たい思いをして持ち帰った阿弥陀像もあり、今回この観音像を買うと自宅に於いて仏像同士が喧嘩をするではないか、との意見もあったが、仏の世界、三千念仏の世界に於いてはそのようなことも無いだろう。
 
次の目玉が瑠璃の置物。ガラスでもあり鉱物でもある瑠璃細工。チンと叩けば清らな音のする世界。精巧できめ細かく、又何とも言えない色彩。人工は天然に勝る、とも言われるが、これは本当に天然の色合いだろう。よしんば人工であっても良い。この色合い、輝きが100年、1000年続くとすれば。瑠璃の光。大日如来光。
 
今部屋では楠の木に彫られた天球の彫刻が人工的な香りを放っている。明らかに人口の匂いだ。この細密の天球にしても機械で製造されたものだろう。そうでなければ、僅かに1万円などでは販売できない。この人工の香りも半年で消え、更に半年後、この置物も自宅に馴染み、本来の樟の香りと沈着した木目の中に、その幾重にも重なった天球細工を眺めることが出来るとすれば・・。かけがえの無いもの。
 
旅行の愉しみ。買い物の楽しみ。結果として買い物ツアーになったが、誰が貶しても、誰が卑下しても、誰がバカにするとしても、この一生の喜びを僅かな25万円で買い求めることが出来た今回の旅行は、矢張り生涯忘れることのできない旅行の一つなるだろう。
 
 
 
 
西冷印社の掛け軸。惹きつける何かがあった。
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西冷の刻印だけでも価値がある。
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猫に小判かも知れないが、分かる人には分かるだろう。
 
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蘇州の刺繍。両面刺繍。良い思い出だ。
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鼓中の鼓。又眺める楽しみが増えてきた。
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