ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(25)夜の外灘(バンド)。

更に黄埔江に向かって歩いて行く。
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あちこちお上りさんが記念写真を撮っている。
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遠くに上海タワーが見えてきた。
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明るく賑やかな街であるが、以前よりは光を抑えているようだ。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
 
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川の向こうに上海タワーが光っている。
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歩行者で溢れかえる賑やかな南京東路を通り抜けると、突き当りに黄埔江の堰堤にぶつかる。ここは15年前も綺麗な堤防公園になっていて、幅広の黄埔江の流れ、その先の建設途上の浦東を眺めるのに絶好の場所だった。多分、この堤は戦前も同じように公園風な遊歩道になっていたに違いない。

The Bund.古くからそう呼ばれていた。中国解放後の今は外灘(ワイタン)と呼ばれるようになっている。何故「外灘」と呼ばれるようになったのか? その背景は分からないが、この黄埔江は、この川自体が大河でもあるが、更に大きな揚子江へ注ぐ最後の支流となっている。もう直ぐ先は外洋、即ち太平洋である。

Bund(バンド)自体は英語である。この地区は戦前はイギリスの租借地であり、この堤防も、又今もその優雅な姿を残している河岸の建物群も英国により作られたものだ。普通英語で堤防ははBankと呼ばれるが、インド風になまってここではBund(バンド)と呼ばれている。その堤に守られるようにして、実際のBankが川沿いに立ち並んでいる。

ここ外灘も南京路同様に大勢の観光客で溢れかえっている。人口の多い中国、所得も高まり、今まで以上に旅行人口が増え、あちこちの観光地は人で溢れかえる。そういう人ごみにまみれ、夜の川を見る。対岸浦東の高層ビル群。中に抜きんでて光彩を放つ上海タワー、上海明珠塔。明珠とはパール、真珠のことだが、その名の通り、丸い真珠のような展望台が二つタワーの上方に膨らんでいる。

振り返ってイギリス租界地を見る。世界大恐慌以前の大正ロマネスクを思わせる重厚なルネサンス様式の建物が七色のイルミネーションに縁どられ、まるでおとぎの国の建物のようだ。当時のユダヤ資本、国際資本のすべてがここに集まっていたのだ。今も著名なSHBC,Hongkong-Shanghai Banking Corporation,の本社ビルもここにあり、サスーン財閥、シフ、ゴルドン商会、いや、横浜の正金銀行もここにあったのだ。100年経った今もここにこうして輝いている。上海は矢張り魔都だったのか・・。
 
 
 
 
ここ外灘(バンド)にも大勢の人が集まってきている。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
 
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皆、浦東を眺め感じ入っている。
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イギリス租界地の古風なビルもライトアップされている。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
 
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ああ、元HSBCの本店ビルだ。
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浦東の夜景とライトアップされた遊覧船。
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上海は全くもって贅沢な観光都市だ。
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