ちゃおチャオブログ

日々の連続

さまざまなタイ旅行(56)パーイ(ปาย)朝の勤行。

昨夜、一人で泊まった一軒家。
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表通りに出ると、お坊さんが朝の勤行をしていた。
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地方へ行くとこうした光景をしばしば目にする。
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人々はお坊さんに競って喜捨をしている。
 
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お坊さんは又人々に有難いお話を垂れている。
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昨夜大勢の通行人で賑わっていた表通り。
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寺院が近いのか、仏に揚げる花などが売られている。
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昨夜は大きな一軒家を一人で貸し切ることになり、果たして寝付けるかどうか心配だったが案に相違して良く眠れた。夜の賑やかなパーイ(ปาย)の喧騒にストレスも発散されたのかも知れない。朝も普通通りに目覚め、家庭用の洗面所でシャワーと顔を洗い、朝食の為に外に出る。大通りから一本入ったソイにあり、通りに出るには便利だ。

通りに出るとお坊さんの朝の勤行が始まっていた。地方都市へ行くと良くこうした光景に出くわすことがある。お坊さんはこうして毎朝アルミのボールを持って、人々からの喜捨を受け、1日の糧とする。人々も気前が良い。出店などの前にお坊さんが立ち、そのボールを差しだすと、売り台の上に置いてあった商品なども惜しげもなく差し上げ、ボールに入れ込む。しかも喜捨できる機会を与えてくれて有難いといった風情で、恭しく両手を合わせ、お坊さんが受け取ってくれたことに感謝の意を示す。

喜捨タイ語では「タンブン」(ทำบุญ)というが、この意味するところは、「徳を積む、善行を行う」ということで、人々は喜捨をすることによって、より天国に近付けると思っているのかも知れない。だからより多くの喜捨をすることによって、より多くの徳を積むことになり、人々は惜しげもなく喜捨をしているのだ。

しかし内実はどうであろうか・・。お坊さんは時々立ち止まっては、何かお経か説教を垂れている。人々はそのお坊さんの前にかしずき、頭を垂れ、光悦の表情だ。これも又喜捨の多寡によるものだろうか・・。より多くの喜捨者にはより有難い説教を垂れる。・・そんなような構図にもみえたが、・・まあ下世話なことは考えないようにしよう。

屋台で簡単な朝食を食べ、そのまま通りを歩いて行くと、昨夜見えたライトアップされた寺院にやってきた。ワット自体の建物はそれ程大きくはないが、かなり広い敷地で高い樹木も生い茂っていて涼しげだ。そのお寺の奥の方に寝釈迦佛が安置されている。大きな一木から彫りあげた仏像で、このお寺の目玉のようだ。タイの人々の宗教心を思い、両手を合わせ、平安を祈った。.

 
 
 
朝食、「ข้าวต้มกุ้ง」(カーオトムグン)英語では「Rice Soup with Shrimp」と書いてあるが、40B、約120円。
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今その「ข้าวต้มกุ้ง」を作ってもらっています。
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近くの民家の門を飾るブーゲンビリア風の南国の花。
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通りの突き当りには、昨夜ライトアップされていたお寺があった。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
 
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この仏塔、チェデが光り輝いていたのだ。
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寺院の奥の方には寝釈迦が横たわっている。
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自然の大木を彫りあげた、庶民の仏像だ。
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寝釈迦、「พระพุทธนอน」(プラプッタノーン)に一礼し、この寺を辞す。
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