産経新聞社から出版されている福田和也著「悪と徳と 岸信介と未完の日本」を読む。これは産経新聞社の「正論」に長らく連載されたものをまとめ、つい2ヶ月ほど前に扶桑社から発売された500頁を越える内容の本である。昭和の妖怪、岸信介の生い立ちから戦前、戦中、戦後の総理時代に至る概略を知る上での好著である。
戦後世代にとっての岸信介と言ったら、日米安保改定に伴う強硬論者で、世論の反対、大多数のデモ隊と対峙し、それを押し切って改定を行い、中央突破を図った反動政治家、との印象が強いが、この本の概略を読む限りではそうした反動政治家ではなく、国を思い、国の将来を憂い、最善の日本国とは何か、国際の場に於ける日本の立場、反共産主義、自由主義世界のトップとの信頼関係を構築した類まれな政治家として描かれている。
確かに戦前、戦後の国際関係の中で、東南アジアを歴訪した初めての総理であり、それ以前の総理と言ったら、東条英機が大戦中にクアラルンプールを訪問しただけであったから、日本のアジアにおけるリーダーシップ確立に大きな貢献をしたと言える。それ以降の日本はアジアの盟主として、重きをなす存在となったものである。
アジア歴訪の直後ワシントンを訪問し、アイゼンハワーとゴルフをし、シャワールームでの裸の付き合いをしているが、日本の総理がホワイトハウスに招かれ、オーバルルームで時の大統領と会談したのも初めてのことであり、この時、昭和32年、戦後は既に終わった、との実感を多くの国民が持ったに違いない。
それから2年後、安保改定に伴う国内の騒乱、就中これ等デモ隊によって大統領アイクの訪日が阻まれ、この年の6月、新安保条約が衆院で可決され、批准書が藤山外相とマッカーサー大使との間に交換されたのを見届け、岸は総理を辞任し、政界から引退したのであった。
左派系が反対する新安保条約は、それ以前の吉田・トルーマンが交わした従属的な安保条約から、少しでも日本を独立国たらしめようとしたものであり、本来国民の多くは賛意を示すべき内容であったが、左傾の宣伝等により、岸のタカ派的イメージが形成され、再びの軍事国家、好戦的政治家として位置付けられたことは残念であった。
祖国を吾々の手に依って防衛すると云うことは、独立国として当然の義務であると同時に権利である。他国の軍隊を国内に駐屯せしめて其の力に依って独立を維持するというが如きことは真の独立国の姿ではない。」
(「真の独立日本のために」、『風声』昭和29年1月号)