三国城は、今はテーマパークになっている。
いよいよこれから太湖遊覧に向かう。
同行者のメンバー。メキシコ在住が長かったらしい。
乗船前の記念撮影。
桟橋の先に遊覧船が係留されている。
洞庭湖に次いで中国で2番目に大きな太湖。15年前、初めてこの湖を見た時、ガイドはこの湖の大きさを表現して、船足の遅い中国の荷駄船では、端から端まで行くのに3日かかる、と言っていて、その途方もない大きさに驚嘆したが、今またここへ来て、再びその時の話が蘇る。
ポンポンポン、当時はポンポン船のような荷駄船がこの湖を往来し、湖畔に面したレストランのガラス窓を通して、湖上をゆっくり移動する船が見えたが、当時は随分のんびりした世界を見る思いだった。今湖上を眺めると、そうした荷駄船は全く見えない。15年の間に輸送手段は足の遅い湖上から、陸上のトラック等に変わってしまったに違いない。
前回は湖上遊覧はなく、湖畔のレストランからポンポン船を眺めるだけだったが、今回は30分程の湖上遊覧がある。これも又中国のレジャー志向、遊び心、観光進歩なのだろう。電動モーターの観光船は音もなく静かに岸壁を離れる。湖畔のあちこちにはテレビ撮影で作られたセットの砦とか船着き場が残されている。三国志も近代的なセットを背景に随分と立派なフィルムが出来たことだろう。
太湖の端を眺める。茫洋とした湖の広がりと、その湖を取り囲むようにして低い山並が覆っている。人家も見えないし、湖の端っこも見えない。ここで三国時代に海戦があったとは知らないが、この情景は2000年前とさして変わらないだろう。こうした広大な湖、江南の湖沼地帯が、あの長江、揚子江の流れの調整役としてあり、数千年の間、川の氾濫もなかったのだろう。しかし革命時、乃至紅衛兵時代、数万体という死体が長江を流れ、下流に押し出されたと言われているが、その一部の死体がこの湖に浮かんでいたのか・・。いや、それは三国志時代にここで海戦が行われたとしても、同じような状況だったに違いない。歴史は繰り返す。そうした一切を周辺の山並みが見続けていたに違いない。
ポンポンポン、当時はポンポン船のような荷駄船がこの湖を往来し、湖畔に面したレストランのガラス窓を通して、湖上をゆっくり移動する船が見えたが、当時は随分のんびりした世界を見る思いだった。今湖上を眺めると、そうした荷駄船は全く見えない。15年の間に輸送手段は足の遅い湖上から、陸上のトラック等に変わってしまったに違いない。
前回は湖上遊覧はなく、湖畔のレストランからポンポン船を眺めるだけだったが、今回は30分程の湖上遊覧がある。これも又中国のレジャー志向、遊び心、観光進歩なのだろう。電動モーターの観光船は音もなく静かに岸壁を離れる。湖畔のあちこちにはテレビ撮影で作られたセットの砦とか船着き場が残されている。三国志も近代的なセットを背景に随分と立派なフィルムが出来たことだろう。
太湖の端を眺める。茫洋とした湖の広がりと、その湖を取り囲むようにして低い山並が覆っている。人家も見えないし、湖の端っこも見えない。ここで三国時代に海戦があったとは知らないが、この情景は2000年前とさして変わらないだろう。こうした広大な湖、江南の湖沼地帯が、あの長江、揚子江の流れの調整役としてあり、数千年の間、川の氾濫もなかったのだろう。しかし革命時、乃至紅衛兵時代、数万体という死体が長江を流れ、下流に押し出されたと言われているが、その一部の死体がこの湖に浮かんでいたのか・・。いや、それは三国志時代にここで海戦が行われたとしても、同じような状況だったに違いない。歴史は繰り返す。そうした一切を周辺の山並みが見続けていたに違いない。
時代劇風の遊覧船。
隣の遊覧船。
太湖遊覧に出航。
テレビ撮影で使用した構築物が見える。
太湖は広い。