チェンマイ博物館を出た直ぐの場所に古い寺院がある。
あちこち草生していて、既に廃寺になっているようだ。
立派な基壇も残っていて、昔は相当なお寺であったに違いない。
前方にパゴダ、チェデイが見える。
この仏塔も相当に草生している。
タイのお寺は功徳とか人気度によって、流行り廃りがあるようで、アユタヤとかスコータイの古い寺院は打ち捨てられたような状態で廃寺となっている。その廃寺から僅かな距離の場所に煌びやかで、多くの信者を集めている大寺院があったりするが、そうした没落寺院と隆盛寺院が同じ地区に二つ併存している現象をどうとらえて良いのか、自分には分からない。人が一度寄り付かなくなったお寺はそのまま打ち捨てられて行くのだろうか。
チェンマイ博物館を出た直ぐの場所にもそのような廃寺があった。昔は隆盛を誇っていたであろう石組みの基壇、その上に高くそびえる石のストーバ。100年ほど前は多くの信者が寄り添い、線香の煙の絶えなかったであろう大寺も今はこうして草生した廃寺となっている。以前この寺に集まり、厚い信仰を寄せていた人々がチェンマイから去った訳ではなく、今もチェンマイ住民として生活し、この寺を見向きもしなくなった。この寺に何があったのかは分からない。
暑い日差しの下、この寺の木陰は近くの学校の生徒にとっては格好の野外活動の場になるのだろうか。同じ様なスクールウエアを着た生徒が十数人先生の指導で何かのエキササイズを行っている。歳老へ、役割を終えた古い寺院と、これからのタイを背負う若い芽。それが自然に溶け合っている処が又タイらしくて良いコントラストだ。こうした処がまたタイの魅力でもある。
チェンマイ博物館を出た直ぐの場所にもそのような廃寺があった。昔は隆盛を誇っていたであろう石組みの基壇、その上に高くそびえる石のストーバ。100年ほど前は多くの信者が寄り添い、線香の煙の絶えなかったであろう大寺も今はこうして草生した廃寺となっている。以前この寺に集まり、厚い信仰を寄せていた人々がチェンマイから去った訳ではなく、今もチェンマイ住民として生活し、この寺を見向きもしなくなった。この寺に何があったのかは分からない。
暑い日差しの下、この寺の木陰は近くの学校の生徒にとっては格好の野外活動の場になるのだろうか。同じ様なスクールウエアを着た生徒が十数人先生の指導で何かのエキササイズを行っている。歳老へ、役割を終えた古い寺院と、これからのタイを背負う若い芽。それが自然に溶け合っている処が又タイらしくて良いコントラストだ。こうした処がまたタイの魅力でもある。
こうした朽ちぶれたお寺でも佛だけは誰かが守り続けている。
遠方から生徒の声が聞こえてきた。
この木陰の下で何かの課外活動をするようだ。
近くの食堂で昼飯を食べる。
食堂の庭に咲く南国の花。