ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(36)白馬寺の中の若き空海像。

蔵経堂を出てくる中国僧も見える。
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中庭に立つ大きな槇の木。
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樹齢も相当あるだろう。
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この寺の神木になっているようだ。
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その間に井戸があって、人々が何か祈ったりしている。
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中国最古の寺「白馬寺」について、日本人にはそれ程多くは知られていないが、それもその筈、日本の留学僧がこの寺に寄った、という記録が余りない。607年、最初の遣隋使として小野妹子がこの隋の都・洛陽にやってきたが、隋はその後10年もしない内に滅亡し、都は唐の長安に移って行った。

従って、その後の留学僧は、遣唐使の随員として唐の都・長安へ行き、空海なども恵果阿闍梨のいた青龍寺で修業していたが、世界的大都市の大唐長安には多くの大寺が建立されていて、当時、洛陽は副都になっていたが、留学僧もわざわざここまで足を延ばすことも無かったのだろう。空海の100年も後の慈覚大師円仁も、中国内陸をあちこち歩き、五台山まで登ったが、彼の「入唐求法巡礼行記」の中にも、洛陽のこのお寺・白馬寺に寄った、との記録はない。

しかし中国最古のお寺だけあって境内は広々としていて、日本人には知られなくても中国人にとっては観光名所の一つで、広い境内には大勢の中国人があちこちもの珍しそうに観光していた。

日本にとって馴染みはなくとも、日本は世界最大の大乗仏教国。矢張り中国最古のお寺を無視するわけには行かないのか、境内の余り目立たない場所ではあったが、若かりし頃の空海の修行僧姿の銅像が立っていた。日本仏教会が建てたのか、真言宗の寄付によって建立されたのか、ひっそりと立っていた。中国人観光客は興味がないのか、素通りして行く人が大半で、この像が日本の高名な僧侶の若い頃の修行の姿など、全く気が付かない様子だった。
 
 
 
 
井戸の中を見るとお賽銭の札がいっぱい浮かんでいた。
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近くには方丈もある。
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扉の隙間から中を覗くと、僧侶の布団が干してあった。
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 あれ、どこか見慣れた銅像も立っている。
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近付いてみると若かりし頃の空海像ではないか!
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