ちゃおチャオブログ

日々の連続

「作家・都知事」石原慎太郎氏は有名病に憑り付かれたのか。

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文芸春秋今月号に石原慎太郎氏が尖閣問題に関連して記事を寄せているが、その筆者名に「作家・都知事」と出ていたので、ここでもその名称を使わせてもらう。
確かに慎太郎氏は若き頃芥川賞を受賞した当時は新進気鋭の作家ではあったが、その後の議員生活や、長らくの都知事就任で、今の日本人で誰も彼のことを作家と思っている人はいないし、彼自身、長らく務めた芥川選考委員も、去年時点で退任していた。
彼自身過去何回か文芸春秋には寄稿しているが、当方の記憶には知事名の上に「作家」と書き加えた記事にはお目にかかったこともなく、今月号に関しては「おや」と珍しい印象を受けた。彼の何か心境の変化でもあったのかと。
 
それが一昨日の電撃記者会見。その場で知事を辞職し、新党を立ち上げる、とのことである。各紙一面で大々的に報じ、夕刊、翌日の朝刊まで賑わい、iPS誤報問題で面目失墜した新聞各社ははしゃぐような勢いであった。
しかしそれは石原氏でなくとも都知事を任期半ばで放擲し、この混迷する日本の国政に一石を投ずるべく新党を立ち上げる、と発表したら、前任の鈴木氏でも青島氏でも、誰であっても1面を大々的に飾るであろうし、石原氏が並はずれて特別ということでもない。
 
そもそも石原氏が2年前の都知事選に四選を目指し立候補した際、当方は反対であった。当時既に78歳で、更なる4年の任期中に80歳を超えてしまう。地方首長の多選が批判される中で、3期12年を務めれば充分ではないかと。しかも副知事には猪瀬さんという立派な後継者もいて、後進に道を譲るべきだと。
然しながら石原氏の主張は、前回オリンピックの開催地投票がブラジルに敗れ、今度こそ東京誘致を実現する為に、もう1期、この4年の間に実現させたい、との強いアピールの元、現職の強みを生かし、しゃにむに四選に突き進んで行ったのだが、それが今日、その目標も何もほっぽり投げて、知事を辞職した。
当時、当方はオリンピック誘致は何も石原さんでなくても猪瀬さんでも誰でも別の人で出来ること、しかも都民の半数は東京開催には賛成していない、2回目を日本でやるとしても東京以外の名古屋、大阪等でやるべきではないか、又それだけのお金があれば、もっと別のところに回したらどうだろう、との考えで、石原氏の四選については投票しなかった。
 
その都知事選で石原氏は圧倒的多数で知事に再選されたが、その高得点の票数の中には、石原氏ならオリンピックを東京に誘致することが出来るだろう、との期待の元に投票した多くの有権者もいた筈だ。
今回の都知事辞職は、そうした有権者の期待を裏切ったことになる。それは丁度3年前の国政選挙で多くの国民が民主党に投票し、その結果民主党に裏切られた今日の状況に似ている。政治家たるもの、自分の言った言葉に責任を持ち、有権者との約束は最大守らなければならない。その限りでは、石原氏と民主党は同じ穴のムジナである。
 
30年前の石原氏だったら良かった。青嵐会の中心的メンバーで、歯に衣を着せぬ言動は、青年将校の趣で、若い頃の中曽根康弘氏を彷彿させるものがあったが、その後青嵐会は解散し、石原氏も国政を離れて都知事に専念し、当時は有意な国のリーダーを一人失った思いもしたが、しかし彼本人の心の内の炎はふつふつと燃え続けていたようだ。
 
しかし如何せん、遅すぎる。自民党ですら75歳定年制を敷き、長老を排除して若返りを図っている中で、80歳にして立つとは! 80歳の御大将、時代にマッチしない、というか、時代錯誤でアナクロニズム
歳を考えなさい!、と言っても、本人は意気軒昂。若者には負けてはいられない、との対抗心旺盛で、ガッツも満々、やる気十分だ。
そう彼は並はずれた知力、体力、能力を持っているのだろう。だから都知事職を投げ打ってまでして国政に立ち向かった。今の日本の現状を見ていると已むに已まれぬ気持ちで立ち上がった気持ちも分からぬでもない。
 
しかし人間は寿命の限られた生物である。人は天命を知らなければならない。恒久無辺の命は秦の始皇帝ですら手にすることは出来なかった。幼青壮老は人の自然の流れであり、人は死に向かって1日足りと休まずに歩き続ける。石原さんはその老の既に墓場の手前に差し掛かっているのだ。その天命、寿命は自身で悟らなければならない。多くの政治家が80を前に引退していくのは自然の流れだからだ。人は自然の流れには逆らえない。
 
石原さん、既に功成り名遂げた上に、今更何をなさろうとしているのか。後2年半知事をやり遂げ、願わくば次期オリンピック開催を東京に誘致し、それを冥途の土産に花道を消えていくのが聖人君子ではないのか。それが石原さんに相応しい人生の幕引きではなかったのか。今更又この期に及んで悪業の国政の場に身を置き、それ程までに渦中の人で居続けたかったのか。
 
もうとうに3人の息子も立派に成長し、長男伸晃氏などは大自民党の幹事長職まで勤め、先の総裁選では総裁職を争うまでに成長している。親としては、これら子息の成長を傍から応援し、後見し、後押ししていくのが、今求められることではないのか。「立ち上がれ日本」の名付け親として、裏方の重鎮として、考えを同じくする同志を背後でリードしていくのが、今天から与えられている仕事ではないのか。
 
もしも80にして猶有名病に取りつかれているとすれば、それは取りも直さず老害だ。60、70を洟垂れ小僧と放言していたどこぞの財界人と変わらない。結果、会社を潰してしまった。
80の爺さんが今更表舞台に出ることは無い。その多年に亘って積み重ねられた知見と経験は、裏方にあっても充分に発揮できる。石原さんが師と仰ぐ大勲位中曽根氏もそうしているではないか。
「俺が、オレが」ではなく、一歩退き、後任に道を譲り、若い人を育てていくのが、経験ある老齢者に求められることではないのか。そうした意味で今回の石原氏の行動は残念でならない。
 
次期都知事は猪瀬氏になるであろう。猪瀬氏は石原氏以上の文筆家であり、先年の三島由紀夫論「ペルソナ」は優れた評論だった。石原氏亡き後、猪瀬氏による石原論を今から楽しみにする。
 
 
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