ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(37)白馬寺にあるタイのお寺、インドのお寺。

空海像の前には、印度寺院、泰国寺院の表示が出ている。
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その前には又、「中国第一古刹・白馬寺」の博物館もある。
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無料だから中に入ってみる。
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当方にはこうした仏像の価値は分からないが・・。どこかタイ風だ。
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ああ、これは珍しい仮面劇だ。これはタイのものらしい。
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高野山から寄進された若き空海像に一礼し、更に境内を回る。この辺りが境内の一番深い場所で、後はまた出入口に向かって巡回して行くことになる。案内板に印度のお寺、泰国のお寺と出ていて、先の方に進むと、広い敷地の中にタイのお寺が建っている。まだ建築途上なのか、それ程人は集まっていない。元々中国人にはタイのお寺など興味がないのか・・。空海像の前を素通りしていくとの同じような感覚かも知れない。

そこへ行く前にちょっとした博物館があり、寄ってみる。もう既に幾つもの仏像を見てきたので、今更という感も無くはないが、こうした美術館なり博物館があり、しかもそれが無料ということであれば、ちょっとは中だけでも見たくなる。

矢張り中に入るといろいろの物が展示されている。当然宗教関係の仏像や書画骨董が多いのだが、中で目を引いたのは則天武后に関する事跡だ。則天武后と言ったら中国3000年の歴史の中で最初にして最後の女帝になった人で、日本人にも馴染み深い名前であるが、それよりも662年、倭国百済連合軍が白村江で唐・新羅連合軍に大敗北を喫した時の唐側の実質的責任者で、この戦争の数年後、則天武后は高宗皇帝亡きあと次を継いだ息子の皇帝を廃して唐を簒奪し、自ら皇帝と称して、国号を周と宣言した。

国号は周となったが、都は従来のまま長安に置かれたが、この洛陽は仏教発祥の地であり、ここ白馬寺もあれば、近郊には龍門石窟寺院などもある。仏教に深く帰依していた則天武后はこの町の発展に尽力し、今までの副都から神都に格上げし、興隆を図ったようである。

周は僅か15年程で元の唐に戻ったが、その則天武后が死んで半世紀後、今度は玄宗皇帝の妃として楊貴妃が又この町を愛し、又この町の牡丹を愛し、以来洛陽は牡丹の町としても中国人の間に膾炙されている。寺院内のちょっと博物館ではあったが、そうした歴史の裏側を思わせる事跡等いろいろと展示されていた。
 
 
 
この寺の謂れなどが図解されている。仏教到来以前からの歴史もあるようだ。
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この寺からは多くの名僧、高僧が輩出されている。
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則天武后と洛陽、白馬寺は、日本人の知らない深い由縁があるようだ。
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さて前方にタイの寺院が見えてきた。
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如何にもタイの寺院らしい門構えだ。
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ああ、如何にもタイらしい。これぞタイ!
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