ちゃおチャオブログ

日々の連続

上海ー新加坡ー吉隆坡ー曼谷4都旅行記(16)City Hall周辺の散歩。

シンガポール市役所は南国の花に囲まれていた。
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人口の割には小さな庁舎だが、どこかに近代的な別館があるのだろう。
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イギリス植民地風の建物だ。
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この敷地の隣には最高裁判所の建物も見える。
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「Supreme Court」最高裁の入口。セキュリテイはかなり厳しいようだ。
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シンガポールは東京23区位の面積の中に人口が約500万人。所得も教育水準も高く、シンガポール国立大学国際大学ランキングでは、アジアに於いて東京大学に次ぐ高ランキングで、数年前、故人所得が日本を追い抜いたように、知的レベルでも遠からず東大、日本を追い抜いて行くであろう。都市国家の強みを如何なく発揮している。

その500万の市民を束ねる所がこのCity Hallで、日本で言えば市役所のこと。500万の都市にしては随分こじんまりとしたものだが、多分これは今から40年ほど前に独立した当時のままの建物で、こことは別にどこかに近代的なオフィスビルを持っているだろう。

この市役所の直ぐ前に「Surime Court」、「最高裁判所」もある。司法と行政の中枢がこの場所にあると言うことは、どこかに立法府もあるに違いないが、それらしき建物は見つからなかった。シンガポールの司法府はかなり開けたもので、入口にセキュリテイチェックのセンサーがある他は、手荷物をロッカーに預け、館内の写真撮影が禁止されている他は、誰でも自由に館内に入ることができ、開廷中の裁判があれば傍聴も可能だ。

と言うことで、当方もショルダーバッグをロッカーに入れて、中に入ってみる。余り人はいない。新しい建物で、ピカピカに磨かれた人工タイルを歩く守衛の靴音が響くのみだった。2階の小部屋をちょっと覗いて切ると、そこは法廷ではなく、和解室のような感じの部屋で、やっていることは日本もどこも、似たようなものかなあ、と想像した。

さて、最高裁判所を出て、更に海の方に向かって歩く。今は19世紀の面影はどこにもないが、この辺りが植民地時代の港の跡で、ラッフルズ卿などもこの辺りからシンガポールに上陸し、開拓していったに違いない。19世紀の古い鉄橋が前方に見えてきた。
 
 
 
 
最高裁を出て更に海に向かって歩く。
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もう一度市役所と最高裁を振り返る。
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シンガポールリバーにかかる鉄橋付近からリバーサイドを眺める。
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36年前もこんな感じの高層ビル群を見た記憶がある。
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勿論今は当時よりももっとビルの数は多くなっていると思いが・・
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前方に植民地時代の鉄橋が見える。
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