ちゃおチャオブログ

日々の連続

さまざまなタイ旅行(85)トンブリ地区(ภาคถมบุรี)。

バイクタクシーが連れてきた場所は、ワットパクナムとは似ても似つかにお寺だった。
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しかしこんな下町のお寺であっても、境内には寝釈迦物が横たわっていた。
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この寺の仏に一礼し、町をぶらつく。
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めったに来ることのないトンブリ地区。珍しい飾やの工房などもあった。
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先ほどのお寺に付属する学校か。「ローンリエン・ワット・プラデイッターラーム」と書いてある。「ประดิษฐ์」、「ประดิษฐาน」が「進歩、前進、創造、高貴な」等を意味し、「อาราม」が「お寺、修道院」の意味。
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チャオプラヤー川の西側、今降り立った「ウオンウエインヤイ(วงเวียนใหญ่)」駅周辺の地域は昔から「トンブリ」(ถมบุรี)と呼ばれている。18世紀後半、ポルトガル等西欧列強に後押しされたビルマ軍がアユタヤに攻め込み、アユタヤ王朝が崩壊寸前になって、そのアユタヤの王都を放棄し、落ちのびてきて、新たな王都を立てたのがこのトンブリ地区で、現在の「チャクリ王朝」の先駆けをなす「トンブリ王朝」であった。

その時の王が「タクシン王」(สมเด็จพระเจ้าตากสิน・ソムデットプラチャオタクシン)で、このウオンウエインヤイの大きなサークルの、その広場の中心には今でも大きなタクシン王の銅像が聳え立っている。「ถมบุรี」(トムブリ)とは「豊な、満たされた町」という意味で、当時も今も河岸に面した「富む土地」であった。

しかし観光面では目玉になるような場所もなく、観光地図、観光案内にも記載されてなく、当然ながら普通の観光客には見向きもされない地域となっている。観光客も稀に、この地区にあるメークロン線の「ウオンウエン・ヤイ駅」や、もうちょっと北側にある「バンコク・ノイ駅」にやって来る位のもので、殆ど用のない土地である。「ワット・パークナム」(วัด ปากน้ำ)を尋ねてくるような酔狂な観光客は殆どいないだろうし、そもそも、バンコクに長期間在住している日本人でも、このお寺の名前すら知らないのだから、ましてや観光客に取っては打ち捨てられた地区であるに違いない。

以前、BTSのウオンウエンヤイ駅が出来た直後、何のきっかけでワットパクナムへ行くことになったのか、その経緯は今は定かに記憶していないが、タクシーに乗ったら一発で着けてもらい、しかもそのお寺には日本人僧侶の平田師がいて、驚いたのだたが、師に又挨拶したく行こうとしたのだが、言葉が通じず、全く別のお寺に案内されたのだった。

それはそれで又良い。古い町並み、トンブリをゆっくり見ることも出来たし、その名前も知らないお寺も見ることも出来たし、多分この寺もタイ王朝がこの地に新たな王権を打ち立てた時以来のお寺であろうし、もしも王権が今尚タクシンの元にあれば、この寺も王宮寺院として、立派なものになっていたかも知れないが、何よりも、東京で言えば川向こうの向島葛飾辺りの下町
のやや低層な雰囲気の中、生の庶民生活を垣間見る愉悦もあった。
 
 
 
 
通りの裏側には昔ながらの運河が広がっている。
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都心地の中の運河と違って、衛生面ではやや劣る。
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通りの表示などは行政により整備されつつある。
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ああ、この先には「ワット・ラカン」がある。「鐘の寺」、有名なお寺だ行ってみよう!
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ああ、タイのHospitarity.通りの入口内は「ยินดีต้อนรับ」(インデイ―トーンラップ)、「ようこそいらっしゃい!」との歓迎モニュメントが出ている。 嬉しいですね。
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