ちゃおチャオブログ

日々の連続

さまざまなタイ旅行(86)ワット・ラカン(วัดระฆัง)。

右側の大きな建物がワットラカン寺の一部。歩いている女性はお寺とは関係が無い。
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外から見る限りでも大きなお寺だ。
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ワットラカン寺の境内。如何にも古く由緒あり気だ。
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天幕の後ろの仏塔も随分と古そうだ。
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ああ、ここでは何かお坊さんの説教が始まっている。
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ああ、この寺の象徴、ラカン、半鐘がいっぱいぶら下がっている。
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これから行くワット・ラカン(วัดระฆัง)は、ガイドブックや観光案内書にも出ている有名なお寺。タイ語を勉強したことのある人なら誰でも知っているアルファベットの4番目の文字、「ฆอ ระฆัง」(コーラカン)の「ระฆัง」(ラカン)である。

これは「鐘」、「釣鐘」のような大き目の鐘の意味であり、実際、この寺に行くと分かるが、沢山の半鐘が寺内にぶら下がっている。「วัดอรุณ」(ワットアルン)が「暁の寺」と日本語で訳されているのであれば、この寺はさしずめ「鐘の寺」、或いは「半鐘(梵鐘)の寺」と訳しても良いだろう。

チャオプラヤー川の西岸にある有名寺と言ったら上の「ワット・アルン」とこの寺の2カ所であるが、「ワット・アルン」は参詣者の多くが外人観光客で占められているのに反し、この寺の参詣者はほぼ全員がタイ人で、外人は数えるしかいない。少なくとも当方がこの寺に来た時には外人客を全く見なかった。そうした光景を眺めている最中、寺院内の鐘があちこちで一斉に鳴りだした。定期的に鳴らしているのか、それとも各参詣者が打つ鐘が偶々同時になって調和しているのか、その音色は何時に気持ち良いものだった。

タイ人が参詣する純粋なタイのお寺だけあって、市内にある有名大寺と比べ、タイ的なものを色濃く残しているようだ。仏に金箔を貼り付けるのは市内のお寺でも見られるが、教室のような部屋で、仏教の教義なのか、道徳なのか、人生の生き方なのか、参詣者に何かの講義をしている風景は市内の寺では余り見たことのない光景だった。本来タイ人は信心深い国民なのだが、外人の多く集まる寺院では、こうしたタイ的なものを外人の目に晒すのを憚っているのだろうか。タイへ来出してもう既に何年にもなるが、今回の旅行で初めてこの寺を訪問したが、観光寺でないタイ人の純粋な信仰心の溢れている寺だった。
 
 
 
 
信仰心の高いタイの人々。
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誕生日の仏に祈りを捧げる人々。
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聖水を汲んで持ち帰る人。
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佛に金箔を貼りつける順番を待っている。
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経文を唱えながら、金箔を貼りつけている。
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高価なタンブン(奉納品)をする女性。
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さて、ワットラカン寺の境内を後にして、フェリー乗り場に向かう。
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