ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(33)西天景区・最後のお寺。

西天景区の登山道の最初のお寺であるが、当方にとってはこの山の最後のお寺となる。
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手入れの整いた落ち着いた庭だ。
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枝木も端正に払われている。
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ああ、この山には「圓通寶殿」の名前が多い。
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ああ、ここのご本尊は何と艶めかしいのだろう・・。
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「度一切苦厄」、ああ、色即是空の世界だったのか・・。
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見晴らし台から最後の一瞥を補陀落の海に向け、山道をどんどん下り降りて来ると、早朝見た分岐道に差し掛かる。今度は先刻とは別の山道を下りて行くと、昨日泊まった団地の建物が目の前に忽然と現れる。手を伸ばせば届きそうな至近の距離。山はこんなに近くにあったのかと。

もう平地に出るだろうと思って更に下ると、何と、又更にもう1軒お寺があるではないか。お寺だから1軒2軒と呼称するのは失礼になるが、全くそんな感じで数多い。しかし考えてみると、今歩いているこの山道が西天景区に登る本道だ。だとするとこのお寺は山に入山した際の最初のお寺になる。当方が最後に見たお寺は、一般の参詣客にとっては最初のお寺になる。この際だから、見てみよう。

ここも又禅宗のお寺らしく整った庭ときりっとした感じの本堂。英語にSquerという言葉があるが、丁度そんな感じの本堂だ。中に入って驚いたのは、ここのご本尊は観音には違いないが、真っ白な大理石で出来ている。宝石のような輝きだ。又その姿態も艶めかしい。仏とは思えぬ芸術性だ。観音が男なのか女なのかそれとも中性なのかは知らないが、ここの観音は断然女性だ。不謹慎だが、Sex Apealもある。

そんなこんなで艶めかしい御仏に心を動かされ、これでは信仰もなにもあったものではない、と中国人の斬新性、現代性を思いつつ、山を下りた。約2時間の良い散歩が出来た。団地に戻る前、角の小売店で果物を買い、部屋に持ち帰り最後の一服。主に礼を言って、フェリーターミナルに向かった。11時までにはまだ充分時間がある。
 
 
 
さて2時間の早朝の散歩。漸く団地に戻ってきた。
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団地の部屋でひとまず一服しよう。
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部屋の5階の窓から外の団地を見る。
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部屋の主、鄭仕福さんに最後の別れの挨拶をし、フェリー乗り場に向かう。
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部屋の前の階段には要らないマットレスなども置いてあった。
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