ちゃおチャオブログ

日々の連続

上海ー新加坡ー吉隆坡ー曼谷4都旅行記(24)シンガポールのリバーフロント。

Little IndiaからChina Townへ行く途中にRiver Frontに立ち寄ってみる。
イメージ 1
 
 
ここはシンガポール発祥の地。
イメージ 2
 
 
今はRenewalされて、リバーサイドの良いプロムナードになっている。
イメージ 3
 
 
 高級店、土産物店、飲食店等が立ち並んでいて、観光客も多い。
イメージ 4
 
 
 
北海道のアイスクリームは南方諸国では人気がある。
イメージ 5
 
 
 
Little Indiaを見たからには、この町のChina Townを見ないのは片手落ちだ。コーヒーを飲みながら急に思い立ち、早速にもChina Townに向かう。この町は地下鉄が発達していて、どこへ行くにも便利だ。ここでは、MRT(Mass Rapid Transit)と呼ばれ、日本語に訳すと謂わば「大量高速輸送機関」と言った意味になるが、現在4路線で運行されていて、まあ、シンガポール屋内であれば、大体の場所にはこのMRTで行くことができる。

地下鉄で2つか3つ先の駅が「China Town」。Little Indiaにしてもここにしても、その名前ズバリの駅名になっているから、初めて訪問する観光客にとっても迷うことはない。で、チャイナタウン駅で下車して、中華街に向かうが、そこへ行く前に、まだ夕食時までには時間があり、お腹も空いていないので、少し寄り道をし、リバーサイドを散歩することにした。

戦前の昭南市。嘗てこの町は、ここリバーフロントのある小さな港からスタートし、マレー海峡を乗り切ってきた帆船、これから波高いインド洋に立ち向かうクリッパー、山東、福建のジャンク、等々様々な国の貿易船、軍船が風待ちをし、食料・燃料の補給が行われた場所であり、今はこじんまりした観光場所になっているが、当時はこの小さな港が殷賑を極めていた。戦前サマセットモームもアジア太平洋漫遊の折、この港に「立ち寄り、確かホテルラッフルズに長期滞在していた筈だ。

この小さなリバーフロント、リバーサイドはシンガポール発展のスタート地点であり、植民地時代の主要な行政機関が作られ、戦時中は、一時、この場所に南洋庁もあった。この港の直ぐ後ろに中華街があり、中国商人は早い段階にこの港町に進出し、活発な商業活動を行っていたのだ。中国人、華僑の逞しさ。リバーに面して、階段状に作られた防波堤とも言えぬ石段に坐り、流れゆく川、又潮で押し戻される川の流れを眺め、シンガポールの今の繁栄を思った。
 
 
 
 
日本より所得の高いシンガポールだから当然日本よりも物価が高い。1個500円もするアイスクリームに行列が出来ている。
イメージ 6
 
 
 
夕方から川沿いに土産物店、キオスクなどもオープンし始める。
イメージ 7
 
 
歩行中禁煙、ごみの投げ捨て厳罰の国だから、通りはクリーンだ。
イメージ 8
 
 
2階建て観光バスも近くを走っている。
イメージ 9
 
 
さてそろそろチャイナタウンへ行って見ようか。
イメージ 10