ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(17)繊維博物館の中で、「藍染工房」にて。

高床の2階には気持ち良いそよ風が渡っている。
イメージ 1
 
 
ベトナムでも見た腰の低い座椅子が並べられている。
イメージ 2
 
 
ああ、こんな場所にも日本の援助で建てられた施設があったのか。
イメージ 3

 
案内嬢はこれから藍染の工房に案内してくれる。
イメージ 4
 
 
藍の葉を煮詰めて原液を作る釜なども当時のままだ。
イメージ 5
 
 
 
江戸時代の藍染は阿波徳島の特産で、その製法の藩外への持ち出しは厳しく制限されていた。云わば徳島藩の専売特許のようなものである。この藍染の製法はどこが発祥の地だろうか。去年中国を旅行した時、江南のある町でこの藍染の技法を明・清時代より守り続けてきた工房を訪問したが、確かに言えることは、徳島はこれ等中国のどこかからか製法を移入し、藍住町に根付かせたものである。

このビエンチャンの繊維博物館を廻っていて、案内の女性が藍染の液が保管されているコーナーを案内してもらった時には、少し意外な感がした。ラオス藍染? 今までタイの民芸品とか山岳民族の衣装などを見てきたが、藍染で染色されていた繊維は見たことがなかったと思う。色鮮やかな原色の布は、すべて草木染めの天然の色だとばかり思っていたが、中にはこうして藍染で染色されたものもあったのかも知れない。今まで自分が気が付かなかったのかも知れない。

Indigoの原産は葉タバコと同じように確か中南米、マヤ、インデオのものと理解しているが、或いは間違いかも知れないが、それがヨーロッパにもたらされ、中国に移入され、ついには日本の徳島にやってきた。その長い遍歴の一つの過程にここラオスインドシナが位置付けられていたのか・・。いやまてよ、逆に中国から還流したのかも知れないが・・。

十幾つも並べられている藍の原液の入った大壺を眺めていると、急に徳島の藍住町を思い出した。吉野川に沿う古い町並み。川にかかる堰。うだつの町並み。何か歴史とか文化が中国を基軸にして一つに繋がっているようにも思えた。言葉が不十分で、案内の女生徒は込み入った話が出来なかったが、後から出された「アンチャン」のお茶を飲みながら、しみじみと感ずることだった。
 
 
 
 
藍の原液の入った壺がずらりと並んでいる。去年ネギさんと中国江南を旅行したが、その時の藍染工房を思い出す。
イメージ 6
 
 
色合い、発酵度によって壺を換えている。
イメージ 7
 
 
このドロドロした群青色が原液だ。
イメージ 8
 
 
藍染の元となる花。ラオス語で何とか言っていたが、当方が「Indigo」と言ったら、通じた。同じような名前で呼んでいるのかも知れない。
イメージ 9
 
 
花は真っ青な水色をしていた。
イメージ 10