ちゃおチャオブログ

日々の連続

ビルマ・マンダレー特急旅行(70)列車でアユタヤへ。

アユタヤ行のチケット。本来の時間は10時51分発、11時21分着になっているが・・
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線路沿いにはバラックなどが立ち並んでいる。水害にも耐えたのか・・
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こうしてみるとタイもかなり貧富の差があるようだ。
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列車内の状況。
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皆のんびりしている。これが本来のタイ流なのだ。
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3月11日、今日は東北地方を襲った未曽有の大災害から丁度丸2年の日だ。1万8千有余名の犠牲者に、総理大臣初め、各界各地で慰霊の式典が行われている。突然失われた命、突然断ち切られた肉親の情。この日は日本人である限り、永遠に忘れられない日である。大災害から既に2年が経っているが、この旅行記は丁度1年前のことである。明日が命日の3月11日であるが、その日はタイの有名なお寺「ワットパークナム」(วัด ปากน้ำ)に参詣に行き、零を弔うとともに、平田僧侶に会うことができたが、それは明日のことで、今日はこれから列車に乗って、アユタヤに行く。

バンコク、フアラムポン駅を30分程遅れて出発した列車は、ゆっくり市街地を通り抜け、北上する。この鉄道は、戦前からここを走っている古いもので、道路が後から建設されたので、あちこちに踏切がある。6車線も8車線もあるような大通りを通過する時は、けたたましい警報音と、おびただしい踏み切り待ちの車両を見ることができる。踏切の存在はバンコクの交通渋滞に拍車をかけているが、列車の方は悠々としたもので、随分早くから30mもあるような長いバーを下ろして、車両を通せんぼしている。警報音のメロデーは各国共通なのか、チンチンチン、と、日本のと同じ音色であるが、その大音響は凄まじく、列車の中にも鳴り響いてくる。朝の道路清掃同様、やること為すことが大々的だ。

バンコク市街地を出て郊外に来ると沿線のバラックが目に着くようになる。この辺りは半年前の大水害で皆水浸しになった筈だが、古めかしい感じは、水害以前からの建物のようだ。タイの水害は日本の濁流のような水害とは違って、じわりジワリと水位が上がってくる不倒沈下のようなものだから、流されずに済んだのかも知れない。いずれにしてもこうした建物が水害後も残っているのは、非衛生であるに違いない。

こうした郊外の線路沿のバラックを通り過ぎると、今度は近代的な工場群が見えてくる。アユタヤとの中間にある工業団地だ。日本の大企業の工場も多い。ちょっと目についたところでは「東陶」とか「Panasonic」など。しっかりと現地に根を張っているようだ。こうした日本企業も中国よりかタイの方が労働環境は良く、これからもドンドン進出してくるだろう。

座席が向い合せになった女性に話を聞くと、何とかいう町の名前を挙げていたが、コラートの先の随分遠いところまで行くようだ。6時間も8時間も掛けて行くが、長距離バスの方が安くて早いと思うが、列車は列車なりの楽しみ方があるのだろう。たわいない話をタイ語で交わすが、丁度良いタイ語の生の勉強にはなった。

列車は1時間程かかってアユタヤに着いた。チケットの到着時刻は11時24分と印字してあったが、実際に到着したのは12時を回っていた。タイ国鉄のいい加減さはこんなところにもある。それが又ユックリズムのタイに似つかわしいとも言えるが。
駅を出た直ぐ目の前に食堂があり、丁度昼時、お昼を食べることにした。食事を終えてからのアユタヤ観光。自分でバスを待ったりするのは面倒なので、駅前で客待ちしているタクシーを捕まえ、300バーツ、約1000円で、案内してもらうことにした。
 
 
 
 
お喋り好きのタイ人。のべつくまなく喋っている。
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さて、アユタヤ駅に到着した。
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アユタヤ観光案内図。これだけ沢山のお寺がある。
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さて駅前の野外食堂にて昼食を摂る。
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タクシーを借り上げ、最初の遺跡に案内してもらう。
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