アユタヤにも寝釈迦佛があった!
炎天下に横たわるお釈迦さん、。
戦乱にまみれ、戦乱を生き延びた姿がそこにあった。
次に案内されたのが、歴史公園内にある「ワット・チャイ・ワッタナラム」。
過去2回アユタヤに来ているが、今回初めて訪問した場所がここ「寝釈迦佛」遺跡である。遺跡と言っても今なお信仰の対象になっているから、厳密に言うと遺跡ではない。しかし戦禍に遭われたことは歴然で、仏を覆う建屋もなく、石膏様の仏が南国タイの炎天下に晒されているが、それを偲び難く思った檀信徒が大きな布を巻いてくれていた。
このお寺の名前を何て言うのか忘れてしまったが、仮に「寝釈迦佛寺」、「วัดพระนอน」(ワット・プラノーン)としておこう。日本では殆ど見ることのない「寝釈迦佛」、タイでは各地の寺で見ることもでき、そのサイズも大小さまざまである。いや、これはタイに限らず、ビルマやラオス、カンボジアの高座部仏教圏に共通している。中国でも寝釈迦佛は全くと言ってよいほど見ることが出来ないが、これは大乗仏教圏に共通したことで、日本の仏教が中国からの移入であるから、日本に寝釈迦佛がないのは当然のことかも知れない。
タイの寝釈迦佛で最も有名なのはバンコクにある「ワット・ポー」(วัดโพธิ์)で、その長大さは当方の以前のブログでも紹介したが、その全長は50m近くもあり、前進が黄金色の金箔で覆われ、足の模様、頭部の螺髪の大きさなど、人の顔程もあり、見る人すべてを驚嘆させるものがあるが、ここアユタヤの炎天下に横たわる寝釈迦佛「พระนอน」(プラノーン)もそれなりに魅力的だ。いや、激しい歴史を感じさせるものがあった。人々は同じ高座部仏教徒なのに、何故争い、殺し合うのか・・。
このお寺の名前を何て言うのか忘れてしまったが、仮に「寝釈迦佛寺」、「วัดพระนอน」(ワット・プラノーン)としておこう。日本では殆ど見ることのない「寝釈迦佛」、タイでは各地の寺で見ることもでき、そのサイズも大小さまざまである。いや、これはタイに限らず、ビルマやラオス、カンボジアの高座部仏教圏に共通している。中国でも寝釈迦佛は全くと言ってよいほど見ることが出来ないが、これは大乗仏教圏に共通したことで、日本の仏教が中国からの移入であるから、日本に寝釈迦佛がないのは当然のことかも知れない。
タイの寝釈迦佛で最も有名なのはバンコクにある「ワット・ポー」(วัดโพธิ์)で、その長大さは当方の以前のブログでも紹介したが、その全長は50m近くもあり、前進が黄金色の金箔で覆われ、足の模様、頭部の螺髪の大きさなど、人の顔程もあり、見る人すべてを驚嘆させるものがあるが、ここアユタヤの炎天下に横たわる寝釈迦佛「พระนอน」(プラノーン)もそれなりに魅力的だ。いや、激しい歴史を感じさせるものがあった。人々は同じ高座部仏教徒なのに、何故争い、殺し合うのか・・。
この寺院は一度はビルマ軍の侵攻により崩落したが、その後、今から20年程前、シリキット王妃の還暦記念で再建された。
しかし、直ぐ裏をチャオプラヤー川が流れていて、この寺院も3mを越える洪水で水没してしまった。
今は水も引き、以前の状態に修復されていた。
何か圧倒される建築物である。
栄枯盛衰、自然の猛威を越えて今にある。