前方の建物がアユタヤ駅。
タイ語で「สถานีรถไฟอยุธยา」(サターニーロトファイ・アユッタヤ―)、「アユタヤ駅」と表示されている。
ここの時刻表は分かり易い。例えば、チェンマイを朝の8時45分に出た列車は、アユタヤに18時52分に到着し、バンコクには20時25分に到着する、と書いてある。しかし、タイ国鉄がこの時刻表通りに運行されたためしはない。
だからという訳でもないが、こうしたVIPの待合室も設置されている。
アユタヤ駅ホーム。手前の女性がわき目を振らず、お菓子造りに専念している。
ああ、これは何という名前か・・、おやつ菓子だ。
1日周遊のアユタヤ巡りを終え、再びアユタヤ駅から列車に乗ってバンコクへ戻ることにした。バンコクに自宅がある訳ではないが、インドシナ旅行ではいつもバンコクをKeytownとしていて、行き帰りこの街に立ち寄るので、古里ではないにしても、いざ帰りなん、という気持ちにはなる。
アユタヤ駅では、列車が来るまでに大分時間があり、ホームを行ったり来たり、珍しいものを写真に撮ったりしたが、タイ国鉄は日本にないようなサービスもしている。移動図書館程ではないが、ちょっとした絵本コーナーなどがあったりして、列車待ちの人が自由に読むことができる。掲示板を見ると、タイ語では、「กศน.」(ゴーソーノ)と言うらしい。調べてみるとこれは「การศึกษาตามอัธยาศัย」(カーンスクサー タームアッタヤーサイ)の略で、日本語に訳せば「自由教室」のようなものだ。
待合人の中にはベンチの上で一生懸命におやつを作っている女性もいる。その数30、50個は下回らない。列車が来るまでの僅かな時間を利用し、急ごしらえで列車に乗り込み、車内販売しようとしているのだ。見たところ、普通の女性に見えるが、気持ちの上では逞しい。
30分か1時間遅れで列車がやってきて、待ち構えた乗客がどっと乗り込み、車掌の警笛も列車の汽笛もなく、静かにホームを滑り出す。日本のような騒々しいアナウンス音もない。帰りの列車は来た時のような興味も薄れ、殆どうたた寝で周りの乗客、窓外の景色なども見ることもなく、漸くフアランポン駅手前の駅で、乗客のざわめきで目が覚めた位だ。ミャンマー・マンダレーからの疲れが尾を引いているのかも知れない。One day Ayutthaya Excurtionはこうして終了した。
アユタヤ駅では、列車が来るまでに大分時間があり、ホームを行ったり来たり、珍しいものを写真に撮ったりしたが、タイ国鉄は日本にないようなサービスもしている。移動図書館程ではないが、ちょっとした絵本コーナーなどがあったりして、列車待ちの人が自由に読むことができる。掲示板を見ると、タイ語では、「กศน.」(ゴーソーノ)と言うらしい。調べてみるとこれは「การศึกษาตามอัธยาศัย」(カーンスクサー タームアッタヤーサイ)の略で、日本語に訳せば「自由教室」のようなものだ。
待合人の中にはベンチの上で一生懸命におやつを作っている女性もいる。その数30、50個は下回らない。列車が来るまでの僅かな時間を利用し、急ごしらえで列車に乗り込み、車内販売しようとしているのだ。見たところ、普通の女性に見えるが、気持ちの上では逞しい。
30分か1時間遅れで列車がやってきて、待ち構えた乗客がどっと乗り込み、車掌の警笛も列車の汽笛もなく、静かにホームを滑り出す。日本のような騒々しいアナウンス音もない。帰りの列車は来た時のような興味も薄れ、殆どうたた寝で周りの乗客、窓外の景色なども見ることもなく、漸くフアランポン駅手前の駅で、乗客のざわめきで目が覚めた位だ。ミャンマー・マンダレーからの疲れが尾を引いているのかも知れない。One day Ayutthaya Excurtionはこうして終了した。
ちょっとの間にこんなに作り上げ、列車の中で売りさばこうとするのだろう。
ああ、移動図書館のような絵本、雑誌コーナーもある。
タイ語で「コーソーノー・アンポアプラナコン・シーアユタヤ」と書いてある。古都だけあって、「ศรีอยุธยา 」(シーアユタヤ)、アユタヤ市名の前に「ศรี」(シー)、「偉大なる、高貴なる、壮麗な」と言った意味の尊称が関せられている。
下り方面の列車がやってきた。
さてバンコク行きの列車に乗り込むとするか。
列車でもどろみ、次に目が覚めたのはバンコク駅間近だった。