ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(58)嵩山を下る。

少林寺「塔林」の拝観を終え、電動カートを待つ拝観者。
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最近の中国人はマナーが随分と向上している。
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こうした電動カート、電動自転車(モーターサイクル)などは日本よりも普及している。
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嵩山観光図。
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山中には少林寺初め、幾つもの観光史跡が点在している。
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大型バス駐車場の脇に咲く「柳条」。
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塔林を見終わり、嵩山景観区の観光は終了となる。塔林から正門までの帰りは、電動カートに乗って戻ることになる。歩いたら2キロ以上、優に30分はかかる。ここも又長蛇の列であるが、カートの数も多く、行列はどんどん捌けて行き、10分も待たないで乗車できた。こうした場所にまで観光に来る中国人は質が良いのか、列を乱すこともなく、大人しく順番を待っている。昔の中国人だったら「我先に」が常識だったが、今は様変わり。こんな処にまでも国際常識が浸透して来ているのだろう。ノーベル文学賞にしても、中国人作家が村上春樹よりも先に受賞しているのだから、侮れない。

さて、1時間程前に到着した広大な駐車場。その広さの割に駐車している大型バスの数も少なく、三分の一も埋まっていない。しかしそれでも少林寺境内は随分な人出で、もしもこの駐車場が満杯になるようなことがあれば、境内はそれこそ、すし詰め状態になるかも知れない。

駐車場の傍らに柳条が沢山の花を付けている。白雪、白いクリームでデコレーションされたようだ。この花が空中を舞い、淡い細雪が音もなく降りそそいでいるように見えたのだ。尤もこの「柳条」と言う名前自体、数日前のこのブログへの竜司さんの投稿コメントで知ったものだが・・。「柳条」とは「柳の枝」とのこと。野川にも小川沿いに大きな柳の木が何本も飢えられているが、こうしたこうした綿箒のような花弁はついぞ見たとは無かった。日華事変発端の柳条湖事件は、この柳条から来ているのはつい最近になって知ったものだが・・。

さて、こうして遂に嵩山を下る。大袈裟に下る、と言ってもなだらかな坂道を麓の町登封市まで下り下りるに過ぎず、以前行った五台山の登り降りに比べたら、十分の一程も無い高度差ではあったが。バスは登封市の郊外、嵩山への入口付近にある大きなレストランに横付けし、これから中華風の昼食会となる。
 
 
 
 
駐車場から見た嵩山の山並。
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これからバスは嵩山を下り降りて行く。
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途中の散村にはあちこちに柳条が咲いていた。
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柳の字を書くが、日本の柳とは大分違う。
 
 
山中の散村風景。
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バスは山をドンドン下って行く。
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