ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(37)フェリーターミナル前広場。

フェリーターミナル前の広場を歩く観光客。赤いロープの中はホテル・旅館業者。
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旅館業者は宣伝のプラカードを掲げるだけで、ロープの外に出てきて、客引きはしない。
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こうした田舎、農家風を売り物とした民宿の宣伝などもある。
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こうしてみるとフリーでこの島にやってくる人も多いみたいだ。
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今日1日どこへ行こうか・・。前方の山門の向こうに不肯去観音院がある。
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広場の正面には江沢民直筆の石碑が建っている。
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補陀山のフェリーターミナルの前には大きな広場がある。広場の反対側にあるホテルのレストランからターミナルビルへ歩いてこの広場を横断するにも数分はかかる。横幅は100m以上あり、縦の長さは500m以上はあるだろう。数千人単位の乗客を乗せた大型客船がひっきりなしにやってきたとしても、上陸に困ることは無い。勿論、あのバカでかい天安門前広場とは比較にならないが、何でも大きな物好きの中国人に似合った広さの広場だ。

ぶらぶら散歩するように広場を横切るが、色々なものが目に付く。広場の正面には江沢民直筆の大きな石碑が建っているが、この島の観光開発、この広大な広場も彼の功績によるのだろう。瀋陽の柳条湖そばの918博物館にも彼の大きな署名がスレート石板にはめ込まれていたが、彼の石碑はあちこちの有名観光地にあり、今や毛沢東のそれを陵駕している。

経済が豊かになり所得が上がり、リッチな雰囲気になってきている中国人観光客が、この広場のあちこちに見える。本当はかなり多くの人がいるのであろうが、広場の広さゆえに閑散とした感じにも思える。

この島の観光案内図、舟山群島の全体地図なども可かがられている。こうしてみると、この補陀落の島は、舟山島の直ぐ横にある。行政区画としては舟山市に含まれている。

1000数百年前の昔、多くの遣唐使船が難船し、これらの群島に漂着した。慈覚大師円仁和尚の乗船した船もこの群島のどこかの島に流れ着き、大きな島からやってきた役人に救出された。鑑真和尚の6回の難破の内の何回かもこの群島のどこかなに押し流された。数百の島からなっているこの群島は、多くの歴史を秘めているに違いない。
 
 
 
 
その石碑「海天佛國」の前で。
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補陀山島の案内図。小さいように見えても、人口は30万人を超えている。
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島の主な観光名所。一昨日、昨日、今日の正味二日間で殆どの場所は見終わった。
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舟山群島の島の位置。舟山は現在は陸地と橋で繋がっている。
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舟山島の直ぐ右横に小さな補陀山が位置しているが、海上での距離は20-30キロは離れている。
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補陀落のイメージ図。このターミナルは島の南端近くにある。
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