ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(40)寧波の街で。

寧波は想像していたよりも近代的な街だ。
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街路樹も綺麗に植えられている。
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ああ、古い街だけあって、こんな七重の塔も見える。
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何か由緒あり気に見えるが・・
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市の中心部のセルフサービスのレストランに入る。
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郊外の大樹港から寧波市内までは案外近かった。二日前上海から補陀山行きフェリー乗り場までシャトルバスに乗って港まで来たが、高速道に乗ったりして随分長い距離を走ったが、ここ寧波と郊外港とは上海外港の三分の一程の距離もなく、切り通しのひと山を越えれば、もう市内に入る。

寧波、中国人はこれを「ニンボー」と訛って呼ぶが、日本人は昔から「ニンポウ」と呼んでいた。古くから発展している港町で、平安時代以降、遣唐使船が目指した港だった。それ以前は朝鮮半島経由で大陸に渡っていたが、半島の混乱、新羅高句麗島の敵対勢力に邪魔され、いつの頃からか福岡、大宰府から五島列島を経由して、一気に東シナ海の荒波を越えて、ここ舟山列島の懐部にある寧波を目指したのだった。「ニンポウ」は当時の日本人にとっては長安に次ぐ、馴染みのある名前だった。

こうした歴史のある港町、唐の時代には都督府も置かれていたと思うが、今は近代的な都市に衣替えしている。1か月前の先月4月、牡丹の都「洛陽」を訪問したが、この寧波よりも古い古都は見事な近代都市になっていて、中国人の進取性、新しいものを取り入れ、変革して行こうとする漸進的改革の思想は地方の中小の都市にまで及び、ここ寧波もその例に漏れず、日本の地方都市では見られないような、近代化の真っただ中を突き進んでいる感じだった。

シャトルバスを市の中心部で下車し、取り敢えずは昼食時間、最寄りのレストランを捜したが、幾つかある中で、日本のセルフのようなレストランがあったので、店内に掲示されている写真を見ながら、美味しそうな料理を注文し、1000年前、この街に初めてやってきた留学僧は最初の料理をどんな風に食べただろうか、など想像しながら昼飯を食べた。

さて、食事を終え、取り敢えずは今晩の宿と明日の天台山行のバスの連絡を確認する為、市のバスセンターに向かう。タクシーは市によって初乗り料金が異なるが、大体どこでも10元から15元程度。200円もしない低廉な乗り物だ。こうした小さな町ではタクシーの移動が好都合である。これも何回か中国を旅行して覚えたことだった。中央バスセンターへ行き、明日の天台山行バスチケットを購入し、次にセンターの目の前にやや大きなホテルもあって、値段を聞くと138元、約1500円。即座にチェックインし、この街で行きたかった天童寺へ向かうことにした。
 
 
 
 
ああ、中国の料理は安くて美味しい。特に地方は安い。
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取り敢えず、バスターミナルへ行って見る。
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取り敢えず、明日の天台山行のバスのキップを買っておく。実はこの切符は後で天台山では無く、全く別の岱山行と分かった。
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取り敢えず、駅前のホテルにチェックイン。
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138元、約2000円で、まずまずのホテルだ。
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