ちゃおチャオブログ

日々の連続

江南10都市巡りの旅(41)夜の上海バンド。

人民広場からバンド(外灘)に向かって夜の南京東路を歩く。
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全くここはいつ来ても賑やかだ。
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バンドの和平飯店が見える。
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ネギさんの思い出のホテル。中に入ってみる。
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磨き抜かれた館内の様子。
 
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古き良き時代のクラシカルなホテルだ。
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ホテルからタクシーで向かったのは人民広場。ここは上海市ダウンタウンの中心地区で、ここを中心に上海の繁華街が広がっている。この人民広場から黄埔江までの通りは南京東路と言って、賑やかな歩道が続いている。突き当りが「バンド」。「上海バンド」と呼ばれ、戦前から有名な歓楽街、オフィス街となっている。

同行のネギさんが凡そ30年程前、貿易会社の駐在員として、このバンドの角地にある和平飯店に長らく居住していたので、今現在そのホテルがどうなっているかを確かめに行く目的もあった。今は欧米系の超一流ホテルがせめぎ合うようにこの上海に押し掛けてきているが、30年前の冬至であってみれば、この「和平飯店」は上海を代表する超豪華ホテル。今でもLocationと言い、知名度と言い、超一流の一つであるに違いない。

おそらく戦前からこの場所に建っているであろうホテル。磨き抜かれた大理石の床は、その上を歩いているだけで歴史を感ずる。古き良き時代の香。上海バンプキンズが大活躍していた頃の雰囲気がそここに残っている。1階フロアー奥にはナイトクラブがあり、中から生演奏のブルースが聞こえてくる。ここは共産中国とは言え、雰囲気は1930年代の上海バンドだ。

ネギさんが良く食事をしたという最上階へ行って見る。まだそこには同じようなレストランがあった。ここからの川の眺めは抜群に違いない。先刻夕食を食べたばかりで、これ以上お腹には入らないが、失敗だった。ツアーの食事を断り、最初からここへ来ればよかったのだ。

ホテルを出てバンドを歩く。これは英語でBund,ドイツ語ではブンド、連帯とか中核、組織のような意味だ。ここでは黄埔江の反乱を防ぐ堤防、突堤の意味で使われている。大勢の観光客だ。対岸の浦東地区の夜景を眺め、写真を撮っている。上海が世界に誇る100万ドルの夜景。1930年代、甘粕辺りがこのバンド、外灘で暗躍していた当時、誰が現在の上海のこの光景を想像できただろうか。当時の中国は列強に蝕まれつつあった。

江を行き来するイルミネーションに飾られたお伽の国のような遊覧船の先に、上海タワー、当方明珠電視塔が夜空にまん丸く浮かんでいる。その電飾は七色に変化し、巨大な宇宙船のようだ。貧民窟とアヘンの巣窟のようなこの街が、80年経った今、世界の首都になりつつある。中国の進展は色々と問題を起こしているかも知れないが、正当に評価されなければならない。二人は上海タワーを背にし、人民広場の反対側にある按摩店に急いだ。
 
 
 
バンドの先に上海タワーが見える。
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夜の黄埔江を遊覧する観光船。
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いやー凄い人の出だ。
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上海タワーをバックに。
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和平飯店をバックに更に1枚。
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按摩店にて。
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夜空に輝く上海タワー(東方明珠電視塔)
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