繊維博物館を出てから、メコン川に向かう。途中にあったムエイタイの競技場。
街の花屋。お飾り用の花だ。
レストランの前で会った地元の大学生。
皆明るくて屈託がない。
ナンプー広場も今はこんなにモダンになっている。
ビエンチャン繊維博物館で珍しい「アンチャン」のお茶を頂き、その後館内の敷地に咲いている南国の草花を案内してもらい、人柄の良さそうなラオス北部出身の小母さんにお礼を言って、又自転車で市内に戻る。市内ではもう余り見る所もない。次にどこへ行こうか考えたが、メコン河畔へ行くことにした。
ビエンチャンの町中を流れる大河、メコン。タイ通いを始めてから早い時期にラオスへ来たのだが、かれこれもう6-7年になる。国境の街ノンカイから連絡バスに乗って友好橋を渡り、その時初めてメコン川をバスの中から見たが、その雄大な光景に圧倒されたものだった。
その時もAgodaで予約したオーキッドホテルがメコン河畔に面していて、4階のベランダから朝な夕なこの川の流れを眺め、旅愁に駆られたものだった。当時、この河岸には数多くのレストランが出ていて、夜遅くまで人々の殺到、花火やら音楽が鳴り響いていたが、如何にも南国の首都らしい開放的な夜だった。
3年前に来た時、それはルアンパパンからの帰りだったが、矢張り河岸に面するゲストハウスに1泊したが、その時は、河岸の夜の賑わいは、随分静かなものになっていた。世界不況の波がこんな地方の国の首都にまで及んでいるのかと、少し暗澹とさせられたが、まあ、いずれ又息を吹き返し、この街にも賑わいが戻ってくるだろう、と予想していた。
ビエンチャンには幾つかの名所旧跡があるが、当方にとっての思い出の場所はこのメコン河畔で、堤防の上に腰掛け、暗いタイ側の集落を眺めること、或いは昼間浅瀬になっているこの川をどこまでも歩き、間近にタイを見ること、河原で飲食をしているラオス人家族に覚えたてのタイ語で挨拶する、等々、この街とメコンとは切り離せない思い出となっている。今日は、そのメコンをもう一度見てみよう。
ビエンチャンの町中を流れる大河、メコン。タイ通いを始めてから早い時期にラオスへ来たのだが、かれこれもう6-7年になる。国境の街ノンカイから連絡バスに乗って友好橋を渡り、その時初めてメコン川をバスの中から見たが、その雄大な光景に圧倒されたものだった。
その時もAgodaで予約したオーキッドホテルがメコン河畔に面していて、4階のベランダから朝な夕なこの川の流れを眺め、旅愁に駆られたものだった。当時、この河岸には数多くのレストランが出ていて、夜遅くまで人々の殺到、花火やら音楽が鳴り響いていたが、如何にも南国の首都らしい開放的な夜だった。
3年前に来た時、それはルアンパパンからの帰りだったが、矢張り河岸に面するゲストハウスに1泊したが、その時は、河岸の夜の賑わいは、随分静かなものになっていた。世界不況の波がこんな地方の国の首都にまで及んでいるのかと、少し暗澹とさせられたが、まあ、いずれ又息を吹き返し、この街にも賑わいが戻ってくるだろう、と予想していた。
ビエンチャンには幾つかの名所旧跡があるが、当方にとっての思い出の場所はこのメコン河畔で、堤防の上に腰掛け、暗いタイ側の集落を眺めること、或いは昼間浅瀬になっているこの川をどこまでも歩き、間近にタイを見ること、河原で飲食をしているラオス人家族に覚えたてのタイ語で挨拶する、等々、この街とメコンとは切り離せない思い出となっている。今日は、そのメコンをもう一度見てみよう。