ちゃおチャオブログ

日々の連続

1.17(金・晴れ)神戸大地震から30年。

 

 

30年前の朝、テレビを付けたら、異様な雰囲気だった。テレビ画面には神戸市内の惨状が大写しになって、報道部員が興奮し、上ずった声で今朝未明神戸を襲った大地震を報道している。高速道路が崩れ落ち、市内各所からの火の手が上がっている。神戸を中心として淡路島、姫路、尼崎一帯へ震度7直下型地震が発生し、今現在神戸市内は壊滅的な破壊をされた、との報道だ。

 

確かに人口150万人からの大都市の直下地震は甚大な被害をもたらし、都市機能がマヒ状態に陥った。しかしこれだけの直下地震ではあったが、死者は6000人強、負傷者が4万人強の被害に留まったのは、建物の耐震構造、不燃構造が功を奏した結果だろう。発生直後は火災がなかった長田区では、翌日辺りから各所で火の手が上がり、燃え広がっていった。2次災害だ。火災の原因はいろいろあったと思うが、何日も経ってからの出火はよく分からない。

 

神戸には当時抱えていた裁判の関係で、被災の三か月後位に行って新神戸駅前にあるニューオリエンタルホテルに泊まったが、30数階の超高層ホテル、耐震構造が優れていたのか、被災はなかった。レンガ造りの神戸地裁も外壁の赤レンガが崩れ落ちた程度で、三か月程度の復旧工事で、現状に戻った。

 

ニューオリエンタルは展望エスカレーターになっていて、そこから見る市内の情景は、テレビで報道しているような惨状はよく分からなかった。地下鉄も殆ど直ぐに開通し、裁判が終わった後の時間、この地下鉄には乗らずに三宮まで歩いて行ったが、確かに工事関係の重機とかトラック、作業車の数は多かったが、市内の惨状はそれ程見ることは出来なかった。多分被害は長田区とか兵庫区の自分の知らない地区に集中していたのかも知れない。

 

メリケン波止場に出て、オリエンタルホテルとか神戸タワーを見たが、被害の有無は外見からは判断できなかった。翌日は時間があったので、フェリーで淡路島の南淡町まで出たが、折から建設中の大きな脚橋の土台の工事関係者を見ただけで、今建設中の鳴門大橋は無事だった。

死者の内訳は圧死が多かったと思うが、建物倒壊による圧死、自宅内のタンスや本箱、家財の転倒などによる圧死が多かったのだろう。

 

それから20年後、今度は東北地方、三陸海岸を大地震が襲い、そこでは2万人を越える犠牲者が出て、大惨事となったが、主たる死亡原因は圧死よりかその後に襲って来た津波の被害によるものが多かった。津波は一気に流し去り、逃げ遅れたら一たまりもない。三陸海岸では長らく津波の被害がなく、過去沢山の人命を奪っている津波に対しての防災意識が薄れていた結果なのだろう。

 

神戸の都市型直下地震地震学者からの事前の警告は全く無く、市民に取っては全くの寝耳に水の災害だった。中央構造線が大分から四国、瀬戸内、紀伊半島に向かって走っているのは神戸震災の後、マスコミ等で言われ始めたのだ。

 

東京にもいつ直下型が襲ってくるかは分からない。政府は当然に事前の予測、対応を考えていると思うが、マスコミには出てこない。いつもテレビでは9月1日の防災の日都知事や総理が行動服を着て、消防総監と一緒に立川辺りの防災基地を訪問する映像しか流していないが、そんな事より、東京都市直下型の被害の甚大さ、各区、地域での推定被害者数など、都民に知らしめるべきだ。そうした情宣を繰り返し、行うことにより、東京一極集中の危険度、地方分散を図るような情宣を行うべきである。